〜遂に最後の国、韓国〜
さて!最後の国、韓国です!!
韓国にはソウルと、あとはフィリピンで仲良くなった韓国人の友達に会いにジョンジュという町に行ってきました
まず韓国で何より感動したのは食べ物です
旅前半はアジアだったため、お米が食べられたのですが、アメリカ、ヨーロッパ、イスラエルは主食はお米ではありません
そのため、アメリカから韓国まで約一か月間、お米を食べられず、ものすごく日本食を欲してました
まあ、大体どの国に行っても日本食レストランはあるのですが意地になって行きませんでした
で、韓国に来て
何よりご飯がおいしい!
やっぱ隣国として味付けがかなり近いのか、もう日本食恋しさが無くなりました
てことで!韓国で食べたものまとめてみます!
まずはチーズも入ったアメリカンドッグ
韓国では仕上げに砂糖をまぶすのが一般的なんだとか
続いてフライドチキン!
フィリピンで友達がずっと韓国のフライドチキンが恋しいと言っていたので食べてみたらほんまにおいしい!
日本のチキンとはまた違って、ジューシーでサクッとしてて、滞在中に3回は食べたほどはまりました
これは最近日本で流行ってる韓国のかき氷、ソルビンです!
ふわふわの氷がおいしい~
そしてトッポッキ
ピリ辛のなべにチーズを入れて一緒にいただきました~
これもトッポッキだけど、こっちのは手作りで、友達のお姉さんが私の為に作ってくれました!
そして、友達の実家が食堂でお母さんが朝ごはんに作ってくれたんです!
辛かったけどおいしかった~
韓国は旅行する人も多いと思うので、ぜひ韓国に行ったら色んな料理食べてみてください!
私もまだほかにも食べたいものがあるのですぐにでも韓国行きたい(笑)
まあ、食べ物の話は前置きとして、ソウルで私が何をしていたかというと、若者の街、ホンデ、シンチョン、をうろうろしていました
韓国旅行といえば明洞が一番ポピュラーな場所かと思うんですが、明洞は日本人と中国人ばっかりだと宿の人が言っていたので、地元の人が集まるところに行きたいなと思ってホンデとシンチョンに行きました
どちらも大学があるので、若者が集まって安い店も多いとのこと
服も安いし、おしゃれなカフェも多いのでおすすめだそうです!
私が言った時も若い人で溢れていて、路上でパフォーマンスをしていたり、高校生がアンケート調査やデモのようなことをしていたり活気に満ち溢れていました
デモといえば韓国ではデモなどの政治的活動が盛んで中学生、高校生からそういった運動に自主的に参加したりするそうです
よく政府の汚職事件が話題になる韓国ですが、官僚が問題をおこせばデモを行って抗議し、辞職させるというのでデモは韓国国内ではすごく意味のあることなんだそうです
宿でめっちゃ親切にしてくれたおじさんがいってました
そして、ホンデをぶらぶらと歩いていたら女子大生二人組に道を聞かれました
Tシャツにサンダルっていうすごくラフな格好をしていたから地元の人だと思ったそうです
そのまま話してたら仲良くなり、話を聞くと彼女たちは大学のボランティアで韓国の伝統的な行事、チェサの体験を行っているというので私も参加させてもらいました
二人について地下鉄に乗ること20分
少し歩いて三階建て程度の建物の屋上に案内されます
ここでチェサというのはどんな行事なのか詳しく教えてもらいました
ここでは日本でいうお盆のようなものと教えてもらったんですが、今調べてみると法事と言っている人もいるのでどっちが正しいのかはよくわかりません(笑)
どっちにせよ、ご先祖様に感謝する行事で、儀式の間はずっと家族のことを考えているようにと言われました
次はチマチョゴリに着替えます
町でレンタルしたらお金かかるけど、無料で着られてラッキー♪
すごくいい感じに写真を撮ってくれました♪
そして少し作法のレクチャーを受けていよいよチェサの体験!
色んな食べ物が机の上に並んでいて、その前に並んでとにかく立って座ってお辞儀してまた立つの繰り返し
日本のお盆だったらお経あげてる間ずっと正座してるのがしんどいけど、韓国のチェサは動きが激しくてしんどい、、(笑)
おそらく20分ほどの儀式を終え、その後みんなでおやつを食べました
さて、ソウルにしばらく滞在したあと、こんどはバスで3時間ほどかけて友達に会いに行きます
フィリピンの学校で知り合ったJustin
あ、これは英語名です、本名は、、、、
忘れました(笑)
フィリピンで出来た韓国の友達のほとんどは既に留学やワーホリに行ってしまって韓国国内にはいなかったのですが、Justinは韓国にいて、家に遊びにおいで~と言ってくれたんです
彼の地元ジョンジュに着き、Justinの車に乗って遅めのランチへ
映画見ようってなったけど映画館の駐車場に入れず、適当にドライブして湖行ったりして、Justinの家に!
私は韓国の生活を垣間見れることになってテンション高め
姉夫婦と一緒に住んでいるらしくて、その姉夫婦の双子の息子がめちゃくちゃかわいかったです
双子ちゃんたちとたくさん遊んで、次の日はJustinが色んなところへ遊びに連れて行ってくれました!
そしてその日の夜行バスでソウルに戻ります
韓国にいてて考えたのは、韓国と日本って似てるんだけどやっぱ違うってこと
体験したチェサも、ご先祖様を祭るという行事の意味は一緒でも作法が全然違うってところとか、
家の様子やファッションも世界的にみたら日本と韓国はほとんど同じように思えるけど、日本人からすれば韓国はまた日本とは違うし、逆もそう
なんか、そんな風に同じところ、違うところを探すのが楽しいなって思いました
隣国なのに私は韓国のこと全然知らない
これまでの歴史でも深い関わりがあったし、距離も近いからこそもっと知っているべきなんですね!
そしてそして、、、、
ソウルに戻ったその日
ついに日本に帰国しました!!
124日、約4ヶ月の旅が無事に終わりを迎えました
次の記事では世界一周をふりかえって、私が世界を見てきて感じたこと、これからやっていきたいことをまとめたいと思います
正直、全然まとまらないんですが、何言ってるのかわからないのはいつものことなので私なりに精一杯書きます
では次の記事でお会いしましょう!
〜聖地で宗教の存在を考える〜
突然ですがみなさん、イスラエルってどんなイメージがありますか?
私がイスラエルに行くと言ったとき、大抵私の友達は
「危なくない?大丈夫なの?」
と心配して言いました
ガザ地区のことを見聞きしてか、それとも中東にあるということでISの印象が強いのか、かく言う私もイスラエルは命の危険にさらされるような危ない場所だと思っていました
しかし、実際のところは治安も良いし、他のバックパッカーがよく訪れるような国と変わりありません
もちろんガザ地区など一部地域は渡航禁止区域になっていますが、テルアビブやエルサレムなど旅行で訪れるところは観光客が危険にさらされることはほとんど無いと思います
あと、意外に思われがちなのは、イスラエルはほかの中東の国々とは少し違い、IT大国といわれる先進国です
ワイヤレス充電がiPhone8、iPhoneXで話題になる前から既にイスラエルの空港には設置されていました
ちょっとでもイスラエルについて知っている人であれば不思議には思わないでしょうが、中東戦争も知らない私たち若い世代の人は全く興味も関心もなく、検討違いのイメージを持ってる人も多いと思うのです
逆にいえば興味も関心も持つ必要のない、日本にはそれほど馴染みのない国なんだと思います
そして、さきほど危険じゃないとは言いましたが、全く危険がないと言っているわけではないのでそこは勘違いされないように、、、
というのも、3つの宗教の聖地があるエルサレムではよく宗教上の対立が起こります
ちょうど私が渡航する前にも「神殿の丘事件」というここ最近では一番大きな衝突に発展した事件があります
きっかけはイスラム教徒がお祈りをする神殿の丘内のアル=アクサー・モスクでイスラエル警官二人がパレスチナ人に銃殺されたことでイスラエル側が神殿の丘に金属探知機を設置したことです
これまで何の制限もなく入れていた神殿の丘に規制がかかるのはイスラム教徒に対する侮辱だとして、神殿の丘付近でパレスチナ人とイスラエル警察の衝突が起きたのです
押し合いみたいな衝突でパレスチナ人は特に武器などは持ちませんが、イスラエル警察が威嚇のために発砲して被害者が出ることもあります
この衝突が影響して、ヨルダンのイスラエル大使館でイスラエルの警備員がパレスチナ人に襲われ、抵抗したイスラエル警備員によって襲ってきたパレスチナ人が銃殺されたのです
この結果、ヨルダンとイスラエルの間には緊張がはしり、最終的にはイスラエルが神殿の丘に設置した金属探知機を撤去するという形でこの事件は終息しました
が、この事件の間にユダヤ人を狙ったパレスチナ人による殺害事件が頻発しました
私が理解しているのはこんな感じですが、もっと詳しく知りたい方はこちらを参考にどうぞ
オリーブ山便り|イスラエルを中心とした中東・世界のニュースをエルサレムから
イスラエル国内のニュースなどが日本語でわかりやすく解説されています
あくまでイスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ人の衝突なので旅行者が巻き込まれることはほぼないですよ、衝突が原因で治安が悪化することもないですよ、ということです
私が行ったときも、衝突があった直後にもかかわらず、観光客の数がすごかったです
あとエルサレムは観光地化されていて、客引きがしつこいので、聖地の厳粛な雰囲気があまりなく、私としてはそれが残念でした
でも、エルサレムにいったからこそ、現地の人と話して、直接意見を聞くことができたのです
宿泊先でのことです
ゲストハウスのオーナーに私が平和な世界を作りたい、戦争を減らすために何かしたいということを話すと、彼は平和についてこう語ってくれました
「平和というのは力のバランスなんだ
二つの国があり、その片方の国が弱くて平和を望んでいたとする
でももう片方の国の方が強いことが分かっていれば強い国は勝てるから戦争をしかけるんだ
だから、弱い国は強気な姿勢でいつでも戦えるようにみせなければいけない、弱さを見せてはいけない、たとえ平和を望んでいたとしても」
彼の話は続きます
「また、こんなことも言える
パレスチナはイスラエルに匹敵する軍事力を持つことが出来ないから、今はそれほど大きな戦争が起きていない、つまり平和が成り立っている
平和というのは力の天秤が偏っているから成り立つんだ
もしここで、イスラエルが弱さを見せればどうなるか
パレスチナが土地の奪還を狙って大きな戦争が起きてしまうだろう
そうならないためにも、イスラエル側は平和を望むからこそ、圧力をかけ続けなければいけない」
ところどころ話がわからなくて私の解釈で補っていますが、だいたいこんなことをオーナーは話してくれました
そして、「君は平和のためにいったい何をするんだい?」と尋ねられました
私は答えることができませんでした
戦争が無くなることは無い
そう言われているようでした
たぶんこの考えがここエルサレムでは正しい考えなんでしょう
ずーーっと昔から、この土地を奪い合ってきたエルサレムで現状では軍事的な争いが起きていないということは、どこかの勢力が圧倒的なことを示し、別の勢力は抑圧されることを意味します
この土地では敵がいることが当たり前で、敵に支配されないようにたとえ自分が平和を望んでいても、相手に力を見せ続けなければいけません
もし勢力が拮抗してくれば再び戦争が起こる
やるかやられるかのどちらか
軍事の強化を怠ってはいけない
そうやって自分たちの家族を守っていく
でも、これから先もずっとこのままなんて悲しすぎませんか
私はこの話に納得したくありません
ずっとにらみ合って力の差を見せつけて、力が拮抗してきたらまた戦って、またにらみ合って
数千年も土地を奪い争ってきたから、この争いはこれからもずっと続くなんて後ろ向きな考えじゃなく
これまでたくさん争ってきたからこそ、もう次のステップに行けばいいとおもうんです
敵も味方もない、誰もが安心できる所にしていくべきです
今だって、同じ町に暮らして生活しているじゃないですか
ユダヤ人もパレスチナ人も、キリスト教徒であれ、ムスリムであれ、ユダヤ教徒であれ、同じ電車、バスに乗っている
なのにどうして、組織的にはにらみ合っているのか
宗教的な理由って言うけれど、宗教だって争いを生むために出来たわけじゃないでしょうよ
無宗教な私にはわけがわからない
悔しいけど、私の価値観では説明しきれない何かがあるのでした
宗教という存在が、私と彼らの価値観の違いをつくっていました
オーナーの考えを否定したくはないんだけど、、
だけどあまりにも悲しすぎるから
もっとイスラエルのことを知って、宗教の事も勉強して、私も1人のの当事者になって、新しい道を探したいなと思うのです
いやほんと、宗教って難しい。
そう実感したイスラエルでしたとさ
次は最後の国、韓国です!
〜個人的にイチオシのポーランド〜
突然ですがポーランドって
めっちゃ女子ウケいいと思うんです
私が行った都市はクラクフとワルシャワなんですが今日はひたすらポーランド推しな記事です
まず、
ポーランドの良い所
ヨーロッパなのに物価が安い
宿泊費が東南アジアよりちょっと高いぐらいでアメリカやイギリスとは比べ物になりません
そしてクラクフという町
観光地として有名な町なんですが、旧市街がとにかく素敵!
旧市街の真ん中は大きな広場になっていて、真ん中にはいくつかの建物が建っています
その一つは中がマーケットになっていて、ずらーっと並んだお店で安くてかわいいお土産が買えます
荷物になるから今回私は買えなかったんですけどね、、、
ポーランドはロシアからの影響も強いのかマトリョーシカとかも売ってました
あとすごくかわいかったのが木彫りの小物、陶器も有名なのか町の至るところでかわいいデザインの皿やカップが売られていました
そして広場では、様々なアーティストがバンドや芸を披露していました
とにかく明るい雰囲気で、みんな音楽にノリノリになったりとかして素敵でした
さらにクラクフの街並み!!
ふとした路地で撮った写真なんですけど、石畳の道路が良い味だしてます
続いてワルシャワ
ワルシャワの旧市街も素敵なんです!!!
戦争でボロボロになった街を、一度はソ連監修の下、再建したそうなんですがワルシャワ市民たちは気に入らなくて自分たちの手で戦前のワルシャワを完璧に再現したんだとか!
(この日は天気が良くて写真写りがむっちゃ良かった!あとなぜかガッツリ加工してる写真しか残ってなくてごめんなさい)
パステルカラーの建物がとにかく!!かわいい!!!
広場では子供たちが水遊びしてたり
楽しげな雰囲気~~
ワルシャワでの宿はちょっと郊外にあって、(中心部は物価がちょっと高い)周りは住宅地だったのですが、外を歩いていると現地の人が目を合わせてにこって笑ってくれるんです~
現地の人が笑いかけてくれるのなんて東南アジア以来ですごくうれしかった、、!
はい、てことで女子のみなさん、ロンドンもいいけどポーランドもおすすめですよ!
というだけの話でした!
まあ次がイスラエルということで緊張していたので、ポーランドでは出来る限り気ままに楽しく過ごすことを考えてました
てことで次はイスラエル
あんまりイメージが無い方も多いとおもうので、ぜひ読んでくださいね!
~アウシュビッツ強制収容所~
ベルリンからポーランドのクラクフまで向かうバスの道中、ドイツとポーランドの国境はバスに乗っていてもわかります
ポーランドへ入った瞬間、バスがガタガタ揺れるのです
昔に作られた石畳の道路が残っているのだとか
さすがに全部の道がガタガタ揺れるわけではありませんが、夜中何度も起こされました
そして早朝にクラクフに到着
宿はクラクフに予約してあるのですが、ここからバスで2時間ほどのところにアウシュビッツがあるので日帰りで行きます
ちなみにアウシュビッツってドイツ語の地名でポーランド語ではオシフェンチムと言います
到着すると既に入場待ちの列ができていました
すると後ろから英語で
「中国語話せますか?」
同じアジア人の顔だったので中国人であることを期待したのでしょう、中国人のお姉さんが話しかけてきました
せっかくなので一緒に見て回ることにしました
カンボジアのS21で気を失ったことのある私としては一人で行くことが避けられてよかったです
ちなみにこの日は雨
どんよりした空気が漂います
収容所はたくさんの棟に分かれており、それぞれに一つのテーマを設けて資料や解説が展示されています
ただ、今回私は解説をちゃんと読んでいないし、すべての棟に行ってもいません
いくつかの棟に行って、写真や展示品を軽く見て回りました
解説が全て英語で時間がかかるというのもありましたが、カンボジアのときのように、また気分が悪くなるんじゃないかと恐れていました
銃殺場や地下室なんかもあったんですが、ちょっとでも当時のことを想像しようとしたら雰囲気に飲み込まれてしまいそうで
できるだけ感情を飲み込まれないように、深く考えすぎないようにしていました
アウシュビッツ強制収容所跡には、一度だけでなく、これからの人生の中で何度も来ようと来る前から決めていたので、今回は建物の様子を観察する程度でもいいやと思っていました
事実、ここにはただ建物があるだけでもう何もないのです
人々が収容されていたのは70年以上も前の事、死体があるはずもなければ、匂いだって残っていません
それでもここで何か恐ろしい雰囲気を感じるのは、残された写真、建物、資料をみて私が想像しているからにすぎません
だからどうって訳でもないですが
なんとなく思っただけです( ¯ω¯ )
アウシュビッツ強制収容所は二つに分かれていて、もう一つの場所は第一収容所から無料でシャトルバスがでています
ただただ広い
ホロコーストを経験し、その実体験をつづったV・E・フランクルの『夜の霧』を思い出しました
敷地全体に張り巡らされた金網フェンス、粗末なトイレ、木のベッド
私が読んだ本に挿絵があったかどうかは覚えていませんが、私が思い描いていた収容所そのものがここにはありました
収容所と聞くとコンクリートでつくられた牢獄のようなものを想像しがちですが、実際は全てが粗末なものでした
収容所内に咲いていた小さな花は、当時も咲いていたのかな、、
ここもしばらく見学した後、一緒にいた中国人女性とクラクフに戻りました
このクラクフという町、ほんとに素敵な町で滞在期間を延ばしたぐらいなんですが、テンションが違いすぎるのでまた別の記事で書きますね
それでは、今回も読んで下さりありがとうございました!
~ベルリンで奇跡の帰還!?~
ヨーロッパ二つ目の国、ドイツです!
ドイツを選んだ理由は、小学生の頃に読んだアンネの日記の影響でナチスへの関心が以前からあって、
ナチスについて学びたいと思ったからというのと、アウシュビッツ強制収容所に行きたかったからです
知ってました?
私は実は知らなくて、アメリカでドイツの計画立ててるときに知って衝撃でした
ほぼアウシュビッツのためだけにドイツ行くのにポーランドかいっ!!
結果、ポーランドも予定に加わりました
そんな背景でドイツ、ベルリンに訪れたんです
到着二日目、自転車レンタルが近くの店にあったので、Googleマップで行きたいところを事前にチェックして
それをみながら自転車で巡ることにしました
まず一か所目は国会議事堂です
軽く写真を撮って立ち去ります
ベルリンってドイツの首都だからもっと建物が密集していて人も多いと思っていたんですが、そうでもなく
ドイツ語や、ドイツ人の顔立ち(私のイメージでは鼻が大きめ)から感じるに、イギリスと比べて陽気な雰囲気があります
同じヨーロッパでもはっきりとそれぞれの国に特色があっておもしろい
ブランデンブルク門を後にし、次に来たのはこんなところ
虐殺されたユダヤ人を追悼し、ドイツの人々がその過ちを忘れないように作ったというモニュメントです
団体のツアー客が来たりしていましたが、一方で地元の人は犬の散歩の休憩で石に腰かけたり、子供がかくれんぼをしたりしていました
私はそれを悪いことだとは思いませんし、むしろベルリンでは町の至るところに戦争の傷跡が残されていて、それが生活のなかに溶け込んでいます
生活の中に溶け込んでいるからこそ、日常の中でふとした時に戦争について思い出すことができるんじゃないでしょうか
後世に伝えていくにはそんな日常に潜むメッセージの方が、学校で一度習うだけとかよりはいいと思います
まあ、このモニュメントが当初から休憩用のベンチや子供の遊び場になることを想定していたのかは定かではないですが、、(笑)
続いてはテポのトポグラフィー
かつてナチスのゲシュタポ、SS、SDの本部があった跡地に現在はナチス政治を記録し後世に伝えるための資料館として建物が建設され無料で公開されています
中には時系列にドイツ語と英語で表記されたナチスの解説が並んでいます
1時間ほど、わからない単語も調べつつ読んでいましたが、それでも全体の5分の1ぐらいしかすすんでおらず、
あまりに時間がかかり過ぎるので写真を中心に気になったところだけ集中して読みました
理解できている内容は読んだ部分の半分もないと思うので聞かないでください、、
気になった写真で、ナチスが見せしめに何人ものロシア人を道路の並木にぶら下げて、首をつっている写真がありました
なにもかもが異常だった
そう印象づける写真でした
テロのトポグラフィーをあとにし、次はランチです
ドイツっておいしいものがたくさん
前日も夜に食べたパンに挟まっていたチーズが美味しすぎて感動
そしてこの日は有名なカリー・ヴルストのお店「CURRY36」に行きました
カリー・ヴルストとはソーセージの上にカレー粉をまぶし、ケチャップをかけたB級グルメです
いやーおいしかった
おなか一杯になって、再び自転車に乗り、今度は丘の上にある戦勝記念塔を目指します
ここまでめちゃくちゃ充実してるドイツ、鼻歌なんか歌いながらどんどん進みます
戦勝記念塔まであと坂道一本というその道で、人の大衆にぶつかります
見た感じデモかパレードか、どうやらセクシュアリーマイノリティがその権利を主張してゲイパレードを行っているといった様子です
思わぬ群衆になかなか自転車が進みません
そして、アッと気づいたとき
自転車の後ろのかごにリュックと携帯を入れていたのでした
リュックはワイヤーキーで繋いでいましたが携帯はそのまま放り込んであるだけです
こんなに人が多い所だったら盗られる!と気づいて荷物を確認したときにはもう携帯はありませんでした
もしかしたら落としたのかもと思って道を引き返すもどこにも見当たりません
やってしまった、、、、
だってこんな人込みに遭遇するなんて思ってなかったし、他の自転車を見ても後ろのかごにそのまま荷物のせてるし、もしかしたらベルリンはスリとか起きないのかもしれないと変に過信して油断していた
ここまで最高の一日だったのに、、、
観光は中止して宿に帰ります
といっても、地図はGoogleマップ頼りだったから携帯がないと、超絶方向音痴の私は当然迷います
すると突然の豪雨とかみなり
あんまりだ(;▽;)
気分の落差が大きすぎる
なんとか宿に戻り、Simを入れてモバイルデータを使えるようにと買っていたアンドロイドを充電し、親に連絡
失くしたのはiPhoneで、日本にいる時から使っていたもの
Wi-Fi下でしか使えないため、Simフリー端末からWi-FiとばしてiPhoneを使おうと思って旅直前に買ったのが充電中のアンドロイド
でもあまりにアンドロイドがポンコツで使えなかったので、世界一周中はほぼiPhoneだけをWi-Fiのあるところで使っていて間違いなくiPhoneが旅の重要アイテムだったのです
LINEはもちろん、宿や航空券の予約、使ったお金の記録もiPhoneでしてた
写真や予約の控えはクラウド共有でアンドロイドでも見れるようにしていたけど、LINEそしてiPhoneにメモしていた覚え書きなんかはどうしようもありません
ポンコツアンドロイドで旅を続けなければいけない不安と、心の支えであった友人との連絡が取れなくなったことでその日一日泣きっぱなしでした
次の日、保険の手続きに盗難届が必要なため、重い腰をあげて警察に向かおうかという時です
ホテルの従業員が部屋に来て、私にこう言います
「何か落とし物してない?」
え??携帯失くしましたけど、、、?
「警察が君の持ち物拾ったってホテルに電話かかってきて、午後1時に届けにくるらしいからロビーに取りにきてね」
は、、い、、、????
え、携帯戻ってくるの?
警察がひろった?
状況が把握できず、話を聞くと、どうやらiPhoneは盗られたのではなく、私が落としただけ
それをたまたま警察が拾って、iPhoneケースにこのホテルのカードキーが入っていたので連絡したとのこと
わああああ、まっじかあああああ
自分が落としてただけっていうオチ、恥ずかしすぎる
スリを疑ったベルリンの皆様ごめんなさい
しかし!!
とりあえず携帯は戻ってきそうですが、まだ安心はできません
なんせ昨日私が携帯を無くした後、あの豪雨でしたから
もし警察が拾ったのが雨の後なら間違いなくiPhoneは水没、使えなくなっているはず
どきどきしながら待ちます
そして、約束の時間
ロビーで携帯を受け取ります
電源は、、、、?
ついた!!!
iPhoneが、奇跡の帰還を遂げました
いやもう。ほんとに。よかったです。
ベルリン警察ありがとう
今回は運がよく、携帯が戻ってきたものの今後おなじようなことが起きても、戻ってくることは無いでしょう
気を引き締めて、旅を続けるのでした
感情の起伏が激しかったドイツ、今度はポーランドです
読んで下さりありがとうございました!
~イギリスでテロについて考える~
世界一周も後半戦!
続いて、イギリスはマンチェスター!
マンチェスターといえば、サッカーのマンチェスターユナイテッド
産業革命の中心地でもあります
そして今年の5月
アリアナグランデのマンチェスター公演中に大規模なテロが起きました
私が世界一周を始めて間もないころの出来事で、イギリスへ行く前、私の中ではイギリスは近年テロが頻発している怖い国でした
ニュースで報道されていたあの国、あの都市に今私はいる
テロに対する私の恐怖はそれは強いものでした
だっていつ巻き込まれるかわからない、私に何にも関係がない人から突然命を狙われる
それだけじゃなくてテロの何がダメかって、テロって社会問題ですよね
極端な話ただの(ただのとか言っちゃだめかもしれない)殺人事件は個々の問題で、個人への不満が直接的な殺意という形で現れた
でもテロって、社会への不満が直接には関係のない人に危害を加えることで形になっている
それって関係のない市民が殺されることが問題ではあるんですが、それ以外にも問題があるんじゃないかと私は思っていて
社会に対して何か不満があったとき、その不満ををありのままの形、一つの意見として、社会に出せない風潮があるんじゃないかなって
あるいは何か不満があって、今の社会に違和感をおぼえているんだけどそれが具体的に何の不満なのかがわからなくて、でもどんどん不満がつのっていって爆発しちゃうみたいな
何言ってるか分からないですよね(-_-)
根拠も何もない素人のたわごとです
話を戻して、
とりあえず私は
テロに巻き込まれて死ぬのだけは嫌だ
と思っていました
テロに巻き込まれて全国ニュースになんか載ってしまったら、私みたいに旅する人が減るかもしれない
何としても無事でいなければ
という使命感もありました
だから、失礼な話だという自覚はあるけれど、
私の中でテロのイメージの強いヨーロッパ、特にイギリスに滞在する間、ずっと警戒しておびえていました
テロに巻き込まれるよりも交通事故に巻き込まれる可能性のほうが、どう考えても高いということもわかってましたが
それでも怖い
そんなんなら、イギリス行くなって言われそうですが、、
空港から、電車に乗って、街を歩き、宿につくまでの間、私はずっとドキドキしてました
電車の壁にはもしもの時の注意事項が目立つところに貼られている
電車に乗るときも、隣の見ず知らずの人間が危険な人間かどうか気にて乗らなきゃいけないのかな
町を歩いていて、ここには車道と歩道の間に何もないから、車が突っ込んできたらおしまいだな
そんなことばかり考えていました
マンチェスターに到着した次の日
こわいから何もしないというのはさすがにだめだなと思って、宿を出ます
「大丈夫。交通事故が怖いから外にでないなんてことがあるか?この町にいる人間は私だけじゃない、みんな普通に外に出ている」
と、いいきかせます
今思い返すと、ここまで怖がっていたのは異常
マンチェスターは中心部に色々集中している町なので、歩いて観光名所を巡ることができます
宿に街歩きマップが置いてあったのでそれを参考に観光開始!
最初は、どうしてもテロのことが頭によぎっておびえていた
でも
アメリカとはまた違った雰囲気の建物
町行く人々がみんな堂々としていてかっこいいこと
立ち寄ったステンドグラスがきれいな協会の神父さんがめちゃくちゃ紳士的で使ってる英語意味わからなかったけど優しかったこと
あとは天気の良さに後押しされて
いつの間にか街歩きを楽しんでいました
自分の単純さ、影響されやすさに救われました(笑)
とりあえずマンチェスターはそんな風に楽しむことができたのですが
次の都市、ロンドンへ着いたとき、私の恐怖は再燃しました
マンチェスターとは比べ物にならないくらい人が多いし、テロの標的になりそうなところがたくさんあったからです
実際に、今年6月3日にテロが起きた現場、ロンドン橋、バラマーケットはすごい数の観光客でにぎわっていました
テロが起きたからと言ってロンドンは観光客が減るようなところではないようです
ただ、
ロンドン橋のたもとに供えられた花が、その花の周りだけが悲しい雰囲気を漂わせていました
ここで車が暴走して、ナイフを持った犯人がバラマーケットへ向かったのだ
想像しながら犯人が通ったであろう道をたどります
多くの観光客がその日のランチを楽しんでいました
美味しい匂い、素敵な食べ物に囲まれ活気あふれる市場がそこにありました
ただ、爆発物が無いかしきりに調べてまわる警官だけが、私にはモノクロに写りました
以前、ベトナムで出会ったイギリス人に尋ねたことがあります
「イギリスではテロが頻発しているけど、怖くないの?」
「確かに怖いし、今も家族のことが心配だけど、いちいち気にかけてられないよ。ロンドンにはたくさんの人がいる。テロに遭遇するのは宝くじに当たるようなものだよ」
同い年の彼女は続けます
「それに、テロで混乱が起きていたら、犯人たちの思うつぼだよ。テロに屈しずいつも通り過ごすことが、なによりテロに反抗する手段なんだ」
強いなと思いました、むなしいなとも思いました
今、市民たちにできる具体的な行動は、恐怖を恐怖ととらえず、できるだけ関心を向けないことだというのです
なんかすごい意地悪な表現になっちゃった
上手い表現の仕方がわかんないや
もし、テロのようなことが起こると数年前に分かっていたなら、何か予防策はあったのでしょうか
数年後、もしくは明日に日本でテロが起きるとすれば、今私たちは何をするでしょうか
そもそもテロの原因とはなんなんでしょうか
答えは出せなくても、一度考えてみる、考えたことがあるというのが私たち一般人が最低限するべきことではないでしょうか
そんなことを、イギリスに行って考えてみました
次はドイツ!
ドイツも色々あって面白かった笑
今日も読んで下さりありがとうございました!
番外編
テロ怖い怖いとは言ってましたが普通に楽しんでましたよ!
バラマーケットの美味しそうな食べ物!
大英博物館で見たモアイ像(笑)
人が多くて入れなかったけど、シャーロックホームズ博物館
今回だけじゃ、まわり切れなかったのでまた行きた!!イギリス!
今度は北の方の街にも行きたいなぁ
〜アメリカで友達に会いました〜
ニューヨークを一日観光した次の日、シラキュースにいる友達、えりかに会いに行きます
実はえりかと会うのは初めて
高3の冬にオンラインの講演で知り合ったのがきっかけで、高校卒業後はアメリカの大学に進学するというえりか
知り合った当初は世界一周の計画途中で、私の進路はまだ形にもなってなかったから高校生の時から目標をしっかり持って着実に進んでるえりかにすごく憧れました
ちょうど私がアメリカに渡るころにえりかも渡米して、シラキュースにいるおばさんの家にしばらく滞在する予定らしいから、会えることになったのです
シラキュースに向かう途中、にやにやと緊張が止まらなかった
考えてみれば、日本でも会ったことない友達に海外で、それも世界一周中に会うなんて不思議な状況
バスを降りて初めどんな風に挨拶しようか考えていると一台の車が来て、女の子がおりてきました
えりかかな?って考える暇もなく「りんか~!」って走ってきて、ぎゅ~っとハグ
しばらく日本人に会うこともなかったから、すごく安心してうれしかった
えりかのおばさんのベッキーともあいさつして、車に乗り込みます
あ、ちなみにベッキーはアメリカ人です、つまりえりかはハーフ
でもずっと日本に住んでたらしくてアメリカの大学に入るのはえりか自身の選択です
車の助手席で英語を自由に扱っておばさんと楽しそうに会話するえりかを見て
すげ~
と感動する私
その日は夕方から野球観戦に行く予定で私が着いたのはちょうどお昼
時間まで近くのモールで遊ぶことになりました
アメリカ!って感じのハンバーガーを食べて腹ごしらえをした後、モールの上の階へ
そこにはアスレチックや謎解きアドベンチャーゲームなどモールなのに一つの遊園地みたいになってました
モール内に張り巡らされた綱やはしごを渡り歩くというアスレチックをすることに
子供向けかと思ったけど思った以上に楽しかった
でもそれ以上に楽しかったのが鏡の迷路
壁がすべて鏡張りになっていて、進めると思ったところが鏡だったりしてめっちゃ楽しかった
言葉では伝わらないけどとにかく面白いの!
そうやってたくさん遊んだあとは野球観戦にいきます
マイナーリーグで全然知らないチームだったし、応援していた地元のチームは負けちゃったけど球場の雰囲気や盛り上がり方がアメリカらしくてすごく楽しかったです!
無料でキャップももらえた!
野球を見終わったのでベッキーの家に帰ります
とっても素敵なお家!
夜家の庭には蛍が飛んでいて、しかもその日は近くで花火が上がっていました
蛍も花火もその時期には日本にいなくて諦めてたから、思いがけず見ることができて満足
夜はえりかとウクレレを弾いてみたり、お互いの将来の話、あとはガールズトークにも花が咲き、遅くまで語り合いました
結局次の日は昼前まで寝過ごして、朝起きるとベッキーがチョコチャンククッキーを焼いてくれていました
手作りとは思えないくらいおいしい!!
その後はベッキーの息子さんも一緒に、名物だというソーセージが白いホットドッグを食べに行きました
チョコレートミルクと一緒にいただくのが通なんだとか
さて、次の目的地はというと、かつてはエリー運河の宿泊地として栄え、今は跡地になっているという歴史公園
そこで地元のオーケストラ楽団が演奏を行うので聞きに行くことになりました
エリー運河についても学びつつ、4,5人のアンサンブルを聞いて癒されました
私は小学校のときに吹奏楽をしていたのですが中学、高校は運動部で楽器に触れることがなく
やっぱり音楽っていいな~と思いました
日本に帰ったら趣味として練習しよう
日本でトランペットとかサックスとか吹いてたら苦情が来そうですけどね(笑)
それからまだ使われている運河があるというのでそれを見に行き、
そばにあったレストランで夕食をすませました
夕食の途中に見れた夕日がすごく綺麗だった!
ベッキーの家に帰り、少し休憩をとると、もうニューヨークへ戻らなければいけない時間でした
もっと長く滞在して、たくさん話したかったけど次の日にはアメリカからイギリスへのフライトに乗らなければいけません
えりかにも、ベッキーにもありがとうと言ってお別れをしました
次会うのはアメリカか日本かどっちだろう?
バスを待ちながら考えました
(その数分後に私が財布を忘れていたことに気づき、思わぬ再会を果たします笑)
サンフランシスコもニューヨークも素敵だけど、私は一番シラキュースが好き!
自然いっぱいで、家が可愛くて広くて、人も時間もゆったりとしていて
一番の理由はえりかとベッキーに会えたからですね
えりかに会って、いい刺激をもらえました
私ももっと英語を話せるようになって、はやくえりかに追いつきたい!
がんばろう。
夜行バスでニューヨークに戻った後、フライトの時間までブルックリンを中心に少し町を歩きました
最近おしゃれな芸術家の町として人気なブルックリン
壁の落書きもおしゃれでした!!
美味しいアイスなんかも食べちゃったりして、
でも、ブルックリンも一人で来るより友達とかと来た方が楽しいんだろうなあ
早めに空港に着き、次の国の下調べをします
続いてはイギリス!
ぜひ、次の記事も読んでください
読んで下さりありがとうございました!