~南京で色々あったんですよ~
こんにちは!
先に断言しておきますけど、この記事むっちゃ長いです
そんなに大した内容じゃないんですけど書くの難しくて、書きやすいかなって思っていつもとちょっと違う書き方にしました
中国、南京での出来事です、どうぞ!
昆明から南京までの道中、列車に揺られるわたしは少し緊張していた
不安と期待の入り混じる気持ち
不安の原因の一つはやっと慣れてきた町を後にし、また見知らぬ町へ向かわなければいけないこと
これまでにいくつの町を、日本にいたときは自分とは全く無関係であったその町を、懐かしみある思い出の場所に変え、そして旅立ってきただろう
それは旅を続ける上で仕方のないことだとわかっている
だが今回、いつも以上にわたしを不安にさせ、期待を膨らませるのはその目的地が南京であるからだ
旅出発当初は南京に向かう予定はなかった
物価の安い地方都市と、北京あるいは香港、上海あたりの大都市を一都市ずつ訪れアメリカへ渡る計画であった
しかしベトナムのダラットにて青年海外協力隊で派遣されてきた日本人と話す機会があり、そこで南京という言葉が挙がった
「南京錠」「南京町」など身近に南京という言葉がある一方で、「南京大虐殺」という日本人にとっては少々気まずいワードも連想される
南京大虐殺とは一般的に、第二次世界大戦中、日本軍が当時中華民国の首都であった南京を占領し市民を虐殺した事件として認識されているが、日本と中国の見解では犠牲者の数、そもそも虐殺があったのかどうかなど意見の対立がみられる
正直わたしはこの南京大虐殺についてあまり関心がなかった
難しい問題であることはわかっていたし、変に首を突っ込むと何が正しいのか分からなくなって抜け出せなくなるだろうと思っていたからだ
しかし日本と中国の現代の関係を語るには欠かせない問題であるのは確か
せっかく訪れるのなら中国側の主張にどっぷりと浸り、中国側から日本を眺めるいい機会だ、と思い調べてみると「南京虐殺記念館」という場所が南京市にあり日本語解説も充実しているとのこと
これは行かなきゃということで南京行きを決めた
日本人からすれば完全アウェイに思える所に、18歳の女一人で乗り込む不安、そして期待というのは自分の視野が広がることへの期待
日本にいれば自然と日本サイドに寄りがちだ
しかし逆に中国側の主張もしっかり受け止めたら自分はこの南京大虐殺についてどのような意見を持つのか、単純に好奇心があった
そして昆明から2,000㎞以上もの長距離移動で南京に到着
事前に調べていた通りに地下鉄に乗り、違うゲストハウスに案内されてしまうというトラブルはあったもののなんとか予約していた宿に到着
高層マンションの一室を改装して宿泊施設として経営しているようだ
既に夜の11時を回っており、そこにいたのはわたしとほとんど歳が変わらないであろう女の子
アルバイトでもしているのかと思いそのままチェックインを済ませたが詳しく聞くと、なんとその子が宿のオーナーであった
19歳で大学で経営学を学ぶ傍ら、講義は全て映像で大学に登校するのは年に数回でいいため実際に宿を経営しているのだとか
その日は時間も遅かったのでそのまま就寝したが、会ってすぐの会話でオーナーにレズビアンについてどう思うか尋ねられたのが気になった
次の日、長旅の疲れもあったので一日のんびり過ごそうかと考えていると、オーナーが半分に切ったリンゴを片手にもう片割れのリンゴは口に運びつつ現れた
今日は一日部屋にいることを伝えると彼女は喜んだ
「私は宿を離れられないから、話し相手もいなくて暇だったのよ」
にへへと笑う、本当に声に出してにへへと笑うのだ
綺麗な目をしているし、顔も整っているのだが、すこしぽっちゃりとしていて、ぼさぼさのおかっぱ頭、ラフな黒のロングTシャツを着ているせいか、かわいいというよりは愛らしい
こんな子が一人で宿を経営しているのか
18歳の世界一周むすめと19歳のオーナーはそれなりに意気投合
オーナーがお昼ごはんを作ってくれたけど
「まともに料理をするのは初めて」と言われたのは既に調理し始めた後でスクランブルエッグを水で煮るという豪快な調理方法を披露された
(手前二つが彼女の手料理)
「はじめてにしては上出来ね!!」とおいしそうに食べるオーナー
この子といると自然と笑みがこぼれる
ちなみに食材の買い出しに行ったとき手を繋がれたのはここだけの話
やはりそういうことなんだろうか
その日の夜、ゲストハウスに一人の男子学生が来た
北京よりも北にある大学に通っているという彼は日本のアニメがすごく好きらしい
キーボードが七色に光る持参のパソコンで彼のお気に入りだというアニメを見せてくれた
その中にわたしも好きなアニメがあったのですっかり意気投合した
意気投合といってもわたしは中国語話せないし、彼も日本語はおろか英語も出来ないので会話にはならない
彼が表示する画像に対して知っているものであればわたしのテンションが上がる
オーナーとは少し英語を使ったりもするけど、どうしても分からなかったときは携帯の翻訳アプリを通して意思疎通をする
すっごく面倒だし体力使うけど、海外ならではのコミュニケーションでわたしは嫌いじゃない
きっと海外のわたしは日本のわたしより1.5倍増しで感情豊かだと思う
ゲストハウスから徒歩15分ほどの場所に観光名所である夫子廟があり、夜景がきれいだというので彼と二人ででかけた
オーナーは宿を離れられないためお留守番
わたしはWi-Fi下でないと翻訳アプリ使えないし、まともな会話もできないので適当に歌うたったり、路上で気になるものを指さし驚く顔をしたりなんかして二人で歩いた
言葉が無くても楽しい
より相手の感情を理解しようと努めることができるんじゃないだろうか
まともな写真が無かったけど孔子廟きれい
そして南京3日目となる翌朝、この日わたしは夫子廟によった後あと南京虐殺記念館に一人で行くつもりだった
そして彼も同じく夫子廟に行く予定というのでまたふたりで孔子廟に行くことにした
この時点でわたしは南京虐殺記念館へ行くということを彼にも、オーナーにも言ってなかった
仲良くなってもなお自分が日本人であり、彼らが中国人であることを意識せずにはいられなかった
南京虐殺と口にし(厳密には翻訳し)自分の立ち位置を尋ねられるのが怖かった
昼間の夫子廟を訪れ、ついでに近くの園庭に寄ると彼は翻訳アプリを通して聞いてきた
「このあとどこにいくの?」
携帯が使えないのでわたしは地図を指さした
どうやら理解したようで、彼は何か特別に反応するでもなく納得したように頷く
「僕も一緒に行った方がいこうか?」
ほんとは一人で行ってゆっくり見たかったけど、「はい」か「いいえ」しか伝えられない状況で理由も説明せず断るのは失礼な気がして、
せめて「来たいなら来ればいい」くらいは伝えられたら良かったんだけどそれすらできなくて、
苦笑いで黙ってしまった
彼はそれを「本当は一緒に行きたいけど遠慮している」と理解したようで一緒に行くよと言ってくれた
やっぱり、言葉は必要だ
地下鉄から出ると天候は雨であるにもかかわらずたくさんの人が入口に並んでいた
ほとんどが中国人で、少しだけ欧米人らしきバックパッカーがいた
入場するとすぐ、逃げ惑う人々の銅像とその下に詩のようなものが刻印されていた
その後も壁画や漢詩など随分と感情に訴えてくる展示が並んでいた
また、犠牲者300,000人という文字が様々な国の言葉で印されていた
一つ一つの展示物の前で立ち止まり、「ほら見ろ、これが日本がしたことだ」と言いたげに顎でそれを指す彼はまるで子供を諭す大人のようだった
彼は決してわたしを責めない
彼だけではない、昆明でであったお兄さんたちも、オーナーも、
みんな割り切っているのだ
もし仮に、わたしが日本人であることをこの場所で大声で告白したとしても、危害を与えてくる人はいないだろう
日中戦争で戦っていた相手はわたしではない
それでもわたしはここにいてはいけない気がした
自分で責められているように思いこんだ
二人で一本しかない傘をさすとなりの彼は今、何を考えているのだろう
修学旅行だろうか、建物の入り口で高校生らしき学生の団体が何かセレモニーを行っていた
学生だけでなくそこにいた全ての来場者が立ち止まり、一人の女学生が群衆に向かって何かを話すのをじっと聞いていた
わたしには女学生が何を話しているのか理解できない
戦争に反対し、平和を願うスピーチかもしれないし、過去の日本の行いを強く非難する内容だったかもしれない
もしくはその両方か全く見当違いのことかも
彼女のスピーチが終わると歌が流れた
国歌だろうか、周りの人はみな、まっすぐに前を向いて歌を口ずさんでいた
正直、気味が悪かった
どんな内容のスピーチかわからないことがより一層わたしに疎外感を与え、彼らとは異なる人種なのだと実感させた
一刻も早くここを立ち去りたくて、助けを求めるように彼を見つめた
でも彼はわたしの存在などなかったかのように、まっすぐに前を見すえ歌を口ずさんでいた
宿で仲良くなった、わたしの知っている彼ではなかった
はじめて彼のことを怖いと感じた
歌が終わると何かの合図でまわりみんなが一礼したが
わたしだけがそのまま立っていた
それが終わるといっせいに人が散っていった
わたしたちも建物内に入り、埋まったままの人骨のある部屋、鏡張りにろうそくの灯りだけで中央に詩が記されている部屋などを見て回った
一通り見終わったのか、出口が見えたので外へ出た
私が彼を怖いと感じたのはこの一度だけで、あとはいつもの優しい彼に戻っていた
彼の話はいったん置いておいて、南京虐殺記念館を訪れた感想を述べようと思う
率直で端的な感想を言えば期待外れであった
前述したようにわたしはここで中国側の主張、つまり日本軍による南京虐殺は本当で、その犠牲者は30万人という主張に完全に納得することを期待していた
そのために下調べで南京虐殺を否定する側の主張をまとめていた
調べてもらうと分かるが簡単に書くと、1937年、38年の南京の人口増加率からみて大規模な虐殺は考えられないとするものや、当時中国は内戦状態であり、虐殺は日本軍によるものでなく内戦に巻き込まれて市民が殺されたことを指すだとか、虐殺の2か月後には南京で自治市民たちによる政府が設立しており虐殺はありえないなど
そもそもの信憑性があまりないし、これを信じて「南京虐殺は中国のでっち上げだ!」なんていうようなわたしではないが、虐殺の存在を多少疑っているぐらいで記念館を訪れ、丸々論破された方が無知で訪れるもより印象強くなり、良いだろうと思っていた
中国が内戦中であったことも含めて、日本軍がどのように侵攻してきてどんな理由で市民を虐殺し、その後どのように南京は復興していったのか
たくさんの証言、信憑性のある資料とともに、時系列に説明された説得力のある展示物があるものだとおもっていた
今思うとあくまで記念館であり博物館ではないのだからわたしが過剰に期待していたのかもしれないが、自分が思っていたような資料はいっさいないように思われ、感情的に訴えるモニュメント、詩ばかりだった
これを見た人々は当時の日本人の非人道さを憂い非難するだろうと思った
わたしは南京虐殺記念館の内容に納得がいかなかった
と同時にそんな自分も受け入れることができなかった
展示に納得がいかないのは自分が日本人だから、日本の非を認めたくないからではないだろうか
本当はこれで十分説得力があり、第三者からすればこの記念館はすばらしいものであるのに、その事実から目を背け、物足りない!!と駄々をこねているんじゃなかろうか
実際、この記念館は口コミで海外からの評価も高いし今日も中国人以外の来場者を見た
でもそんなに評価が高い理由がわからない
これは何か自分に足りていないものがあるんだ
自分に足りないものは何なのか、このことが残りの旅でわたしを悩ませ続けた
そして帰国後、ブログを書くために訪れた場所の情報を調べなおしていると、南京虐殺記念館に展示されているという資料なのに見覚えのないものが出てきた
不思議に思って詳しく調べるとあることが判明
なんと、わたしは資料館を見逃していた
ショックすぎていっそのこと判明してほしくなかった
資料館には当時の新聞記事や証言、虐殺のことを時系列にまとめたパネルもある様子
資料の内容までは調べられず、それらがわたしを満足させるかどうかはわからないが、少なくとも資料館に行ってないのに満足できるわけがないことは確実
少し安心したと同時に、せっかく南京まで行ったのにたくさんの資料を見逃したのが悔しくて悔しくて判明後三日間は思い出すたびに涙を流すわたし
わたしはきっと、再び南京に訪れる運命だったに違いない
そう言い聞かせながら現在に至る
だが当時のわたしはそんなこと知るはずもなく、もやもやを抱えたまま記念館をあとにする
正直、この時は記念館の展示物より、となりにいる彼に気を取られていて、資料館に行ったところで集中できなかったと思う
地下鉄乗り場まで歩いていると、館の入り口のところで中国国旗を売る人と、それを手に取る白人のバックパッカーがいた
わたしは南京にいる間のほぼすべての時間をオーナーと一緒にでかけた彼と過ごした
そしていつからか、彼はわたしに好意を寄せるようになった、らしい
好意を寄せるといっても、中国版のメッセージアプリで何度もハートやキスのスタンプを送ってきたり、「オーナーではなく君のために何かしたいから」と言って、ご飯をおごってくれるぐらいで、単純に友達として冗談交じりに好いてくれているんだろうと思っていた
そのたびにわたしは笑ってごまかしていた
するとオーナーに
「彼、本当にあなたのこと好きなんだよ」
と言われた
そう言われても、わたしにはどうすることもできない
彼がわたしを好きということが認識できない
だって、出会って3日、4日で好きになる??
言葉もまともに通じないのにそんな簡単に好きになるの??
期間の短さ、言葉の壁もあるけどそんなのは後付けの理由
彼の好意を受け入れられないのは間違いなく南京虐殺記念館での彼を見たから
いくら過去のことでわたしは直接関係ないとはいえ、知り合って日が浅い日本人とあんなところに行ったら多少の不快感なり思うところもあるだろう
そう
あんなに怖い顔してた彼が?
わたしなんてまるでいないように、まっすぐに前を向いて歌を口ずさんでいた彼が?
わたしのこと好き???
まさか
彼に想いを伝えられれば伝えられるほど、わたしは混乱して彼は何も悪いことしてないのに少し避けてしまうようになった
こんなとき言葉さえ通じれば、混乱していることを素直に彼に伝えて記念館で彼が何を考えていたのか尋ねるのに
翻訳アプリもあるけど、直接話すことに比べるとやはり伝えられることに限りがあるから、誤解を招いて彼を傷つけてしまうかもしれない
いや、結局避けて傷つけることになっているのだから、やっぱりわたしが弱いだけだろう
人と接するのに言葉はいらないけど、それなりの強さと覚悟を持たないと深くわかり合うには難しい
深くわかり合うのが難しいのは言葉があってもなくても同じか
まあいいや
そんなこんなで南京で混乱の日々を送り、オーナーと彼に別れを告げる
わたしはただの旅人だから、このあと連絡をとることがなければ彼らに会うことは一生ない
この後も関係を続けるかはわたし次第だ
彼を傷つけたところで、これ以上関わることはない
というのがわたしの弱さであり、甘えである
別にこんなマイナスなことを旅の途中でずっと考えていたわけじゃないけど
中国という環境がわたしにこんなことを考えさせたのだと思う
異文化コミュニケーションとか、言葉の壁とか
おままごと程度ならそんなに難しくないけど、知識やスキルがないと厳しくなるところもあるんだ
仲良くしてねってニコニコしてるだけではだめだなーって思いました
めちゃくちゃな文でごめんなさい
なんとか中国書き終えました
書いてみると内容そこまで濃くないな、
そのときの混乱とか葛藤って言葉にするの難しいよね
次はアメリカ
ヨーロッパもサラーっと書き終えてイスラエル書きたいです
ではでは、次の記事でお会いしましょう!
今日も読んでくださりありがとうございました!!ほんとに、こんな長いの読んでくれてありがとう!!!!