〜ベトナムからラオスまでの試練、、!?〜
ハノイからルアンパバーンへの道のり、それが東南アジア最後の試練となるのでした、、、
なんと27時間というバス移動が待ち受けていたのでした!!
しかもベトナム人、ラオス人以外はスリーピングバスの後ろの1番狭いところに押し込められ、寝返りすら厳しい体勢にさせられます
しかもしかも、ラオスでは夜行バスを狙った山賊被害もあるというのです!
国境で出国手続き、入国審査を受けラオス入りした後、再びバスに乗って移動を続けるんですが、、、
崖すれすれでグネグネ曲がっている山道を乗用車を追い越す勢いで走るもんだから怖くて怖くて死を覚悟しました
ドライバーの運転テクニックすげぇ、、、
なんとか27時間バスを乗り越えると、日本の方1人、韓国の方1人と仲良くなってました
次の日、仲良くなった2人とクァンシーの滝へ泳ぎに行くことに!
水が青い!冷たい!気持ちいい!
避暑地にぴったりの場所でした
そして夜はナイトマーケット!
夕方17時くらいから宿のすぐ近くでお土産や食べ物の露店が並び始めます
布やポーチが可愛いし、食べ物は安いしでこのナイトマーケットには毎晩通いました
ルアンパバーンは韓国の旅番組で取り上げられたことがあるらしく、確かに韓国人がたくさんいました
宿の同じ部屋でも、ある韓国人の女性と仲良くなったんですが、彼女は韓国人らしくない方でした
韓国人女性といえば肌が白いイメージですが、彼女は気にすることなく日焼けしていました
英語が堪能なだけでなく、日本語もほぼネイティブ
世界各地にボーイフレンドがいるのだとか、、
日本語を学び始めたのは、日本人の彼氏ができて彼と対等に言い合いをするためだったとのこと
彼女いわく、外国語を本当に使いこなせる人というのはその国の文学を理解できる人で、実際彼女も村上春樹を日本語で読むそうです
村上春樹は韓国語にも翻訳されていますが、やはり日本語で読むからこそ感じられる表現や描写があるんだとか
これまでに商売のために日本語を覚えて日常会話ができる人はいたけれど、彼女のように日本人と同じように日本語を操る人には出会ったことがありません
素敵だなぁと思いましたし、彼女のようにこれから言語を取得していきたいです!
ちなみに、外国語を取得する上で一番のアドバイスは、海外に彼氏をつくることと教えてもらいました
外国人の彼氏ほしいなぁ、、笑
ラオスでは他にも日本の方と会ってたくさんお話したり、穏やかな日常を過ごすことができました
何もしないでのんびり過ごすのがラオスの楽しみ方だと思います
穏やかなラオスに対して次は中国!!
入国から色々ありました、、、笑
まぁそれも次の記事でお話します!
最後まで読んでくださりありがとうございました!
〜ベトナムまとめ2〜
前回の記事は〜ベトナムまとめ2〜です
こちらから↓
ホイアンから再びバスに乗ってフエという町に着きました
バスから降りるとタクシーやバイクのおじさん達に群がられます
ベトナムの客引きのしぶとさにうんざりしていた私は真顔( ˙-˙ )で無視して通り過ぎます
まだ宿を決めていなかったので携帯で地図を見ていると、バイク乗りのおっちゃんに話しかけられました
初めは無視していたんですが、一つのノートを手渡され、見てみるとこれまでおっちゃんが乗せてきたお客さんたちの感想が書かれていました
日本人のレビューも幾つかあり、「はじめは警戒していましたが、親切な方でした」「4人の娘を持つ苦労人です、悪い人ではありません」などと書かれていました
とりあえず宿を探していることを伝えると予算内に収まる価格の宿を紹介してくれたので、かなり信頼してしまった私
次の日に観光名所のツアーをしてあげるというのでお願いしました
値段交渉する前に、、、、
途中で値段を聞いてないことに気づいたんですが、まぁ多少ぼったくられてもそんなに高くないだろうと観光を楽しみました
これは線香を乾かしている所
カラフルで可愛い!
むっちゃ広い庭園!
ノリノリで観光を楽しんだ後、宿まで送ってもらって値段を聞くと、日本円で1万円近くの値段を提示されました
いやいやいや(笑)
ぼったくられても3,000円かなと思っていたのでかなり焦る私
30分くらいの交渉の後、4500円くらいまで値下げしてもらいましたがこれでも高すぎる(;▽;)
まぁでも、今回は私が悪いです笑
良心的な仕事をしてたくさんの良い感想を集めた後、それを見せて信頼させて、私みたいに油断してる人からぼったくるという手法なんでしょう、、、
皆さんもベトナムに行く際は気をつけてください
事前交渉は必須です( ¯ω¯ )
なんかね、、
旅の途中でたくさん親切な人に会うけれど、やっぱりどこかで疑いの目を持たなきゃいけないんだとちょっと悲しくなりました
ハノイで印象に残ったのはベトナム建国の父ホーチミンのことです
簡単に言うとフランスから独立、ベトナム戦争に勝ち南北統一を成し遂げるのに貢献した人物
ハノイにはホーチミン博物館があり、1人の人物を語るために一つの大きな博物館が建ってるんです
博物館の展示はベトナム語の他に英語でしか説明がなかったので、日本に帰ってからホーチミンという人物を中心にベトナムの歴史について調べ直したいと思いました
タクシーのおっちゃんともめたり、ぼったくられたりしても、滞在期間を4日延ばし、友達もたくさんできたベトナム
色んな意味で印象が強いし、また戻ってきたい国になりました!
次に向かった国はラオスです!
ですがラオス入国には厳しい試練が待ち受けてました、、、
が、それは次の記事で!笑
最後まで読んでくださりありがとうございました!
〜ベトナムまとめ1〜
前回の記事からさらに1ヶ月がたち、リアルタイムでは8月17日、無事に帰国しました!
なのでこれから一つ一つ旅の記録を残していこうと思います
まずはベトナムのまとめ!
まず訪れた町は
ホーチミン〜ダラット〜ニャチャン〜ホイアン〜フエ〜ハノイ
順番にこの5つです
移動はバスでオープンバスチケットという、30日の間停車するそれぞれの町でいつ乗り降りしてもいいバスです
私は14日間でホーチミンからハノイまでベトナム縦断しました!
ではそれぞれの町で印象に残ったことについて細かく振り返ります
ホーチミンでスられた話とダラットの話は既にしました↓
http://furisk46.hatenablog.com/entry/2017/06/14/205257
http://furisk46.hatenablog.com/entry/2017/06/14/205257
ダラットの次はニャチャン!
ニャチャンへはある日本語教室へお邪魔しました
この教室のリー先生とは私の高校の先生の紹介で知り合って、ベトナムへ行く目的の一つがリー先生の日本語教室へ行くことでした
1日目は元日本語ツアーガイドだったリー先生にニャチャン観光へ連れていってもらい、また次の日はリー先生の生徒3人が色々な所へ連れていってくれました
鳥の足を食べたり
お祭りへ行ったり
木でできた橋を渡ったり!
もちろん、日本語教室にも参加しました
みんな日本語は勉強したてで、あまり話せないようだったので簡単な日本語で会話しました
ちなみに私と遊んでくれた3人とは主に英語でやり取りをしました
何人かにどうして日本語を勉強しているのかを聞いたところ、「日系企業で働きたい」「日本へ行きたい」「日本の文化が好き」
など色々な理由がありました
海外の人が日本語を勉強しているのって少し不思議で、私にはそれほどの魅力が日本にはまだあるのか?と思っていたんですが、まだまだ日本は新興国の憧れなんだなぁ
小学生から大人まで学びに積極的な生徒はとても素敵でした!
そんなニャチャンのあとは、バスの乗り換えもありホイアンという町にたった2時間だけど滞在しました
ベトナムの京都みたいな所らしく、インスタ映えしそうなスポットがたくさん、、
ホイアンから次はフエという町に行ったのですが、長くなりそうなので一旦区切ります!
ではまた次の記事で会いましょうヽ(´ー`)ノ
〜旅の半分が過ぎました〜
みなさんお久しぶりです!
ブログ書くたびにお久しぶりって言ってる気がしますね笑
気がつけば7月になり旅も半分以上過ぎたので1度振り返りをしようと思います
あ、ちなみに現在はアメリカのサンフランシスコにいます!
まず、旅の出発とともに掲げていた3つの目標!
- 英語上達
- 世界を現実のものにする
- 色んな価値観に触れる
この3つですね
現時点で達成出来ているかというと、、、
1.✕
2.〇
3.〇
英語上達に関してはフィリピン留学後、1日平均2時間は英語に触れるようにする!とか言っていましたが全然出来てません
もはや英語上達を目標に掲げていたことさえ忘れてました←
今のところ私の英語力(単語を並べるだけ)では、もっと相手のこと知りたいのに話せないもどかしさはあるんですが、お店や宿でのやり取り程度なら特に問題ないみたいです
でもせっかくアメリカにいるのでもう少し積極的に英語使おうかなって思います
そして2.3に関しては海外にいる限り達成出来ているかと、、、
衝撃を受けたものもありましたし、自分には許容しきれないかも(トゥールスレンで気を失ったのは許容しきれなかった一番の例)と感じたものもありました
しかし、既に色んなものを見てきたし、新しい価値観に触れてきたからといってこれぐらいで満足はしていません
まだまだ自分の知らないものがあるし、知る必要があるし、知りたいし、何でも来い!な気持ちです
そして掲げた3つの目標の他に感じていることといえば、「記録を残すことの大切さ」と「自分の変化」です
記録を残すことの大切さってこんだけブログサボってる人間が言えることじゃないんですけど笑
メモとか写真では一応記録残しているんですよ、、笑
やっぱり早くて半日、長くても1週間で滞在場所を変える生活をしてると1日がほんとに濃くて、たった3日前にしていたことがすぐに思い出せないんですよね
何をしていたかぐらいは遡れば思い出せますけど、そこで自分が考えたことや感情は思い出すのが難しい
だからちゃんと言葉にして、記録残さなきゃこのかけがえの無い日々もただの行動記録になっちゃうなと思いました
だからブログちゃんと書きます。読んでくれる人がいるからではなく、自分のために
んで、次、「自分の変化」について
旅を通して新しいものに触れて、確実に私の視野は広がってる、あるいは今までとは違うものの見方をしつつあるはずです
日本人とはまた違う考え方で自国について考えたり、実際に見聞きしたことに基づいて自分の意見を言うようになりました
人はそれを成長と言います
でも成長ってなんでしょうか
私には新しいものを身につけた一方で、以前の自分を捨てたように感じるんです
なんでこんな風に考えるようになったかっていうと
日本にいる友だちや旅先で会う日本人と話が合わないことが多くなったんです
話が合わないというか、偏見に敏感になったのが分かりやすい例かな
友だちがLINEで「中国人って〇〇だよねー」と送ってきたことに対して、中国に来て直接中国人と話したわけでもないのに何を言ってるんだってイラッとする
そりゃ私だって中国の何を知ってるって言われたら何も知らないけど、知ろうとしてるから旅をしてる
だから、その国について特に強い興味があるでもないのに何故か偏見だけは持ってる人がいると平静でいられない
それは違うじゃん!!って否定したくなる
以前だったら偏見だな〜って思うことも、やんわり受け流すことができたのに
偏見を正そうとしてるんだからそれでいいじゃん、って言ってくださる人はいると思います
私が問題視してるのは間違いを正そうとする意識が強くなったことじゃなくて、偏見を持つ側の気持ちを失ったことなんです
んー、、書けば書くほど伝わってる手応えが無くなってるぞ?
以前は私も偏見を持っていた側だったけど、偏見を見直す側になったとたん何故偏見が生まれるのか偏見持つ側の気持ちにそって考えられなくなったみたいな
分かりやすくするために極端な言い方してるし、ほんとは偏見の事についてだけじゃないんです
二つの反対の意見があって、私自身の心の中で両サイドの気持ちを持つのは可能だと思ってたけど意外と難しいって話です
私も自分で何言ってるか分からなくなりました、言葉って難しい、、笑
まぁ、今日の記事は振り返りと自分への戒めみたいな気持ちで書いているので私が理解出来て、後で見返したときに頑張ろって思えたらおっけー!
読んでくれた人、お付き合い頂いてありがとうございます
次からは写真とかもつけて面白くしますね!
ではまた近いうちにお会いしましょう!!
〜ダラットでだら〜っと〜
この題名を使いたいがために今日はこの記事を書きました笑
ダラットというのはベトナムの南部の中部にあります(下の地図の赤い印)
私のGooglemapのスクリーンショットで分かりづらかったらごめんなさい
ちなみに今私がいるのはハノイ(青い点)です
きっかけは20年以上ベトナムにするでいらっしゃる方が現在はダラットに住んでおられて、ゲストハウスにも泊めていただけるということで向かうことにしました!
この街は標高が高いため涼しく、ベトナムがフランス統治下のときに、フランス人が避暑地として開拓したそうです!
一つの集落をどけて、川をせき止めて湖を作ったそうで、お洒落な建物がたくさんあってフランス人のセンスに屈服させられます
計6/7~6/9まで計3日ほど滞在したのですが、バイクで様々なところへ連れて行ってもらったり、ピザ窯でお菓子を作ったり、旅の疲れを癒すことが出来ました!
これはコーヒー農園、ベトナムはコーヒーも有名です!
ピザ窯で焼いたお菓子たち
もしかすると、私が教えたレシピで商品化されるかも知れないです
クレイジーハウス
現在も増設中でホテルとして泊まることも出来るんです!
たまたま建設中の道路を進むことが出来て、ダラットを360°見渡せる山頂まで登ることが出来たときの写真です
湖の形がよくわかります!
あとは一年中紫陽花が咲いていたり、季節によってはコスモスや向日葵も!
ほんとにいい場所なので皆さんもベトナムに来る際はぜひ!ダラットへ!
〜最近の私。ベトナムにて〜
これまたお久しぶりになってしまいました、、
ごめんなさい
私は生きてます笑
前回の記事ではトゥールスレン・ジェノサイド博物館で気を失った話をしました
それから、何とかベトナムに向かうもトラブルか続きやる気スイッチOFFになっておりました
ブログも何個か下書きを書き始めたりはしていたんですが、途中で自分の考えがまとまらなくなって挫折を繰り返し
ダラダラと特に何も考えることなく旅を続ける自分に嫌気がさします
てことで、開き直って好きなことを好きなように書きます!
読者のことなんてお構い無し!
読みにくかったり、私の情報が間違っていたり、思想が偏っていたりしても私は知らない!
とりあえず今はイライラしてます
気を失ってからイライラすることが増えました
というのもトラブルがたくさん!主な二つは、、
- ホーチミンへ向かうバスに乗る際、宿でバスの予約をしたのですが、宿までピックアップに来ると聞いていたのに当日何時になっても迎えが来ない!結局自分でバス停まで行かなきゃ行けなくなって、会社のミスなのにバス停までの交通費も私が支払いました
- ホーチミンに着いて、宿に向かうときにタクシーのおっちゃんにお金をスられました。約5000円、、説明しやすいからと安易にお金を渡した自分が悪いんですが、「スったやろ!」と私が言うと「スってへんわ!お嬢ちゃん頭大丈夫か!?」と言いつつどさくさに紛れて胸を揉まれました
この出来事のせいでベトナムの印象が最悪です、
悪いところばかり目に付くようになってしまいました
やたら声でかいし、客寄せむっちゃしつこいし、英語の発音聞き取りにくいし、めっちゃぼったくるし(ぼったくりはタイもカンボジアも同じかな笑)
もう!なんなの!ベトナム人!!!!
って一概にベトナム人ひっくるめてイライラしている訳です
でもね、友達もたくさん出来たんです
スリをしたり、ぼったくる人達を除けば、みんなむっちゃフレンドリーで親切通り越してお節介なんですよね笑
親切なところがちょっとズレてる笑
何だかんだ言って憎めないです
まあ、ベトナムいるうちはずっとイライラしそうな予感がしますが、これもいい経験ってことにしておきます
他にベトナムで何をしたとか、前からずっと書く書く詐欺をしているカンボジア、タサエンでの出来事とか、気が向いたら書きます
気が向くようにあまり気負いし過ぎないようにします
最近ものすごく日本が恋しいから、積極的にコメントしてやってください。笑
今日も読んで下さりありがとうございました!
〜トゥールスレン博物館で気を失いました〜
今日はタサエン村でのことを書くつもりだったんですが、気持ちがわーってなってるので今日起きたことを書きます
とりあえず、人生で初めて気を失いました
トゥールスレン・ジェノサイド博物館という、1976年4月から2年9ヵ月のうちに多くて20万人の人が収容され、拷問を受けた場所に行ったんです
現在はその記録を残すため、博物館となり収容者のベッドや足かせなども残されたままです
私も日本語の音声ガイドに従って館内を回っていました
その記録は壮絶で残忍で、いや、実はあんまりちゃんと覚えて無いんですけど、受け入れ難いものでした
その時のことを想像したり、音声ガイドに集中したりしてたところに、突然グラッとしてやばいと思って館外へ出てベンチに座った後から記憶がありません
気づいたらベンチに横になっていて、何か夢を見ていた気がするんですけど、ハッと起き上がって、自分でも状況がつかめなくてでもしんどいしで再び横になりました
女の人の声が聞こえて周りにたくさん人が集まってきていて、なんか皆英語で言ってるけど聞こえづらいし、ああそうだ、自分気を失ったんだって気づいて
とにかく悲しくて悲しくて涙が止まらなくて
何が悲しいって多分さっき見聞きしたことを受け入れたくないっていう悲しさだと思うんだけど、見聞きしたことの記憶もハッキリしてないし
ずっと泣きながら男の人に支えられながら場所を移動して、気分が良くなるまで寝させてもらいました
自分でも何が起きたのかほんと分からなくて、熱中症にならないように水分補給もしていたし、死体の写真とかもあったけど、その時は気分も悪くならなかったし、ほんとに音声ガイドの途中で特に衝撃的な所でもないはずの所で突然グラッとして
それに館内の3分の1も回れてないのに、全部見れないのが悔しくて
続きを回ろうにもまだ少しクラクラするし、怖いし。
世界を現実のものにする為にここに来たのに、自分は現実を見ることすら出来ないのかって、情けなくて悔しくて
自信なくなりました
もともと自信持ってる方ではないけど
もう日本に帰りたい、でもまだまだ帰りたくないし、
旅続けたいけど、ダラダラしちゃいそうな気がしてどうすればいいのかわかんない
どうすればいいの?
とにかく涙が止まりません
情けない。