風を訪ねて

「自分でもどこへ行くのか分からない。それでも何かを目指して進みたい。」なんて思ってる私の日々の記録。

~ニューヨーク一日観光~

さて、サンフランシスコを後にして、飛行機でニューヨークへ向かうのですがここでも宿泊費を抑えるため、夜行便に乗ります

 

しかし、実はわたし飛行機が怖くて、飛行中はあまり寝れないんです

 

東南アジアでは文字通り崖っぷちを走り、かなり荒い運転のバスでぐっすり寝ていたんですが、どうも空を飛ぶのは苦手で、、

 

飛行時間が5~6時間ぐらいでしたがあまり寝られず、睡眠不足の謎にハイなテンションで空港に到着

 

次の日には友達に会いにニューヨークを一旦離れるので、街歩きが出来るのは今日一日だけ

 

すぐに宿に荷物を預けにいって町に繰り出します

 

まず私が向かったのはグラウンド・ゼロ

 

9.11で当時ワールドトレードセンターが建っていた場所に慰霊碑があり、犠牲者の名前が刻まれています

 

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その隣にはメモリアルミュージアムがあり、入場料$24と高いですがそれほど充実した内容になってます

 

 

私がメモリアルミュージアムの中で特に印象に残ったものが二つあって、

 

まず一つ目はまるでタイムスリップしたかのように当時の状況をさかのぼることの出来る部屋です

 

新聞ニュース、そしてハイジャックされた飛行機との通信記録などがそのまま残されていて、分刻みでかなり詳細に当時の動きが再現されていました

 

私は、9.11について

 

「ワールドトレードセンターの二つのビルにハイジャックされた飛行機が突っ込んだテロ」

 

ぐらいの認識しかしかなくて、

ビルに突っ込んだ二機以外にも別に二機の飛行機がハイジャックされていたことなどたくさん知らないことがありました

 

それにこのテロがいかに世界に影響を与えたか、アメリカの人々を恐怖に陥れたか、少し考えればわかるし、言葉では理解していたつもり

 

だけど映像で映し出された人々、ビル崩壊後の救出作業残された展示物を見てはじめてその恐ろしさを感じました

 

そしてさらに現実味を帯びさせるのを後押ししたのは、二つ目に印象に残ったもの

 

小さな一室で犠牲者を追悼する映像が流れていました

 

犠牲者の名前写真当時の年齢、そして家族からのメッセージを音声と文字で一人数分ではあるけれども、彼らがこの世に生きていたことを証明するには十分でした

 

新婚で働き始めてすぐだった青年や、主産前の妻をもった夫世界を舞台に働くことを誇りにしていた女性など

3000人以上の犠牲者のうち私が見たのは10人だけ

 

むしろ10人もの人生の終わりを実感してこれ以上は苦しくて見れなかった

 

 

すごく充実したミュージアムでたぶん3時間ぐらい滞在してたけど、ニューヨークに来て最初の目的地にグラウンドゼロを選んだのは間違いだったかもしれないです

 

一人重い空気でタイムズスクエアにいってもやっぱり楽しいわけもなく

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人が多すぎて逃げるように退散

 

次はメトロポリタンミュージアムへ

 

途中、セントラルパークに寄って行って、リスを見つけて一人興奮

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大都市なのにこんな緑いっぱいの公園もあるのって素敵だと思います

 

メトロポリタン美術館に着き、任意入場料で$1だけ払って色々有名なものとか見たはずですが、寝不足のせいか全然覚えてない

 

他にもいくつか行ってみたいところはあったけど、体力の限界を感じて宿に戻りました

 

ちなみに宿は中国人街のすぐ近くにあって、一週間ぶりに中国を感じましたとさ

 

次の日、早起きしてバスで四時間ほどのシラキュースに向かいます

 

日本で知り合った友達に会いに行くのです!!

 

次の記事で書きますね! 

 

 ぜひ読んでください

 

ありがとうございました!

 

 

~サンフランシスコ滞在~

アメリカでどんなことがあったのか、具体的に書いていきます!

 

まず、サンフランシスコ国際空港に着いたのは7/5の夜

 

少しでも宿泊費を安くするため、この日は空港泊

 

私と同じように空港で夜を明かす人は何人かいて、コンセントもあるし、Wi-Fiも使える、ふかふかの椅子やソファもあったので結構快適でした

 

ただ、思っていたより気温が低く、半そでにパーカーでは寒かった

 

周りの人も暖かそうな恰好をしていました

 

なんかパーカーにジーンズってアメリカ感ありません?

 

次の日の朝、予約した宿のチェックインは午後からだし、特にすることもなくパン屋にでもいって公園で暇をつぶそうかと行動開始

 

町の中心部へエアトレインで移動します

 

なぜかわからないけど、このエアトレインが個人的にすごく印象に残っているんです

 

日本の電車みたいにふかふかの椅子なんてなくて、プラスチックの椅子

 

いろんな人種の人がいて白人、黒人、アジアっぽい顔立ちの人もいる

 

みんな周りの空気を遮断しているみたいで、

 

ヘッドホンで音楽を聴く人、

携帯を触る人、

何をするでもなくぼーっと前を見る人

 

それぞれが干渉することなく自分の世界に入っているのを見て、「先進国」って感じました

 

日本でも同じような光景が見られるけど、ずっと東南アジアとかに行ってたからかすごく新鮮

 

外は濃い霧に覆われていて、まさに灰色の空間だった

 

 

美味しいと口コミで噂のパン屋の最寄り駅で降りたけど、まだ時間が早すぎてパン屋はオープンしていない

 

仕方がないので近くの公園のベンチに座り、暇を持て余した

 

30分くらいたっただろうか、一人の女性が話しかけてきた

 

「あなたここで何をしているの?英語は話せる?ひとり?」

 

 私がひとりで、しかも18ということを知ると彼女はいっそう興奮した様子で

 

「私にはあなたぐらいの娘がいるの。どうしてここにいるの?ここは危ないわ。

今だって、すぐ目の前で当て逃げ事件が起きたの。

その犯人が逃げていくとき、あなたのことをじっと見てたから危険だと思ってあなたに声をかけたの」

 

目の前で事故が起きてたのに全く気づいていなかった、、

 

そういえば、治安のこととか気にしてなかったな、、

 

私がチェックイン待ちで時間を持て余していることを伝えると、彼女は図書館に行くことを勧めてくれました

そこなら、無料で休めるし、ネットも使えるとのこと

丁寧に行き方まで教えてくれて、その後アメリカにいる間はずっとメールで私のことを気遣ってくれていました

 

今回はこうやって声をかけてくれる人がいたけど、次からはちゃんと治安のチェックもしよう、、

 

彼女に教えてもらった通りに図書館へ行き、午後からは無事宿につきました

 

それにしてもやっぱり、今までに行ってた国とは街並みが全く違います

 

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どの建物も三階建て以上だし、何気ないマンションとかも外見がおしゃれ

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ただ町を散歩するだけでも楽しめそうです

 

 

それから一週間ほどサンフランシスコに滞在していたんですが、あまり気分がのらなかったのと、何をするにも物価が高いのとで宿にこもるか、ぶらぶら散歩するぐらいでした

 

一応、サンフランシスコといえばゴールデンブリッジフィッシャーマンズワーフをひとりで訪れましたが、、

 

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ひとりでこういうところ観光しても楽しくないよね(笑)

 

写真撮ってすぐ帰りました

 

もっと田舎の方に行けばよかったなーと後悔

 

サンフランシスコでは旅の計画や下調べをしながらぼーっと一週間を過ごし

 

次の都市、ニューヨークへ向かいます

 

さすがに何もしなさすぎたのでニューヨークでは限られた時間の中、色んな所へ行ってみました!

 

 今日も読んでくださりありがとうございました!

 

~ついにアジア脱出!でも不安だらけ~

こんにちは!

 

さて、これまで東南アジア、中国と旅してきた私ですが、ついにアジアを飛び出しアメリカに!

 

でも前回の記事をご覧の通り、中国では色々と考え込んでしまって疲れていました

 

それにアメリカへ行くのも不安がいっぱいで日本に帰りたい気持ちがピークに達していました

 

ここら辺からちょっとずつ滞在期間を削って、日本に早く帰ろうとするのです

 

まず、アメリカに渡る際に不安だったことをまとめてみる

 

  1. トランプ大統領の影響で入国審査が厳しくなっている。女一人で東南アジアや中国を旅してきたのって一見怪しくない?
  2. 物価がめちゃくちゃ高い。宿とか東南アジアの8倍くらいする
  3. 周りの人はみんな英語ネイティブだから中国とは逆の意味(自分が英語話せない)で意思疎通に支障をきたすのではないか
  4. 先進国ってみんなプライド高くてツンツンしてそう。困っていても助けてくれる人がいなかったらどうしよう

まあ、「こんな風にアメリカ行くの怖い、行きたくない」などと言ってたのですが実際のところはどうだったのかというと

 

1に関してはいらぬ心配でした

むしろいままでの入国審査で一番はやかったのではというくらい滞りなく終わりました

 

2について、アメリカ最初の都市はサンフランシスコだったんですが、なんせ物価が高い!食費を抑えるため、スーパーの食パンで生活していました

 

3、英語は勉強中だから言っても仕方ないし、むしろどんどん話して上達しなきゃ!とは思いつつも欧米の人は体大きいし、ちょっと怖いし、自分が上手に話せないのが申し訳なくて出来るだけ人と話さなくてもいいようにしてました

実は宿代を抑えるためにカウチサーフィンというサービスを使って、無料で人の家に泊めてもらうということも出来たんですが、主に英語能力の不安により使用しませんでした

 

4に関してはまた書きますが、どこにいっても親切な方はいらっしゃいます。大体の人は助けを求めると優しく対応してくれます

 

 

 

アメリカ滞在の日程

 

7/5~7/11 サンフランシスコ

7/12 ニューヨークシティ

7/13~14 NY シラキュースにいる友人に会いに

7/15 ニューヨークシティ(主にブルックリン)

 

シラキュースに日本の友達がいて、その子と日程合わせるためにサンフランシスコ滞在が長めでした

 

サンフランシスコ~ニューヨークは飛行機でニューヨーク~シラキュース~ニューヨークはバス移動

 

ざっと概要はこんな感じですかね

 

次の記事から具体的なこと書いていきます!

 

今日も読んで下さりありがとうございました

~南京で色々あったんですよ~

こんにちは!

先に断言しておきますけど、この記事むっちゃ長いです

 

そんなに大した内容じゃないんですけど書くの難しくて、書きやすいかなって思っていつもとちょっと違う書き方にしました

 

中国、南京での出来事です、どうぞ!

 

 

 

 

昆明から南京までの道中、列車に揺られるわたしは少し緊張していた

不安と期待の入り混じる気持ち

不安の原因の一つはやっと慣れてきた町を後にし、また見知らぬ町へ向かわなければいけないこと

 

これまでにいくつの町を、日本にいたときは自分とは全く無関係であったその町を、懐かしみある思い出の場所に変え、そして旅立ってきただろう

それは旅を続ける上で仕方のないことだとわかっている

 

だが今回、いつも以上にわたしを不安にさせ、期待を膨らませるのはその目的地が南京であるからだ

 

旅出発当初は南京に向かう予定はなかった

物価の安い地方都市と、北京あるいは香港、上海あたりの大都市を一都市ずつ訪れアメリカへ渡る計画であった

しかしベトナムのダラットにて青年海外協力隊で派遣されてきた日本人と話す機会があり、そこで南京という言葉が挙がった

「南京錠」「南京町」など身近に南京という言葉がある一方で、「南京大虐殺」という日本人にとっては少々気まずいワードも連想される

 

南京大虐殺とは一般的に、第二次世界大戦中、日本軍が当時中華民国の首都であった南京を占領し市民を虐殺した事件として認識されているが、日本と中国の見解では犠牲者の数、そもそも虐殺があったのかどうかなど意見の対立がみられる

 

正直わたしはこの南京大虐殺についてあまり関心がなかった

 

難しい問題であることはわかっていたし、変に首を突っ込むと何が正しいのか分からなくなって抜け出せなくなるだろうと思っていたからだ

しかし日本と中国の現代の関係を語るには欠かせない問題であるのは確か

せっかく訪れるのなら中国側の主張にどっぷりと浸り、中国側から日本を眺めるいい機会だ、と思い調べてみると「南京虐殺記念館」という場所が南京市にあり日本語解説も充実しているとのこと

 

これは行かなきゃということで南京行きを決めた

 

日本人からすれば完全アウェイに思える所に、18歳の女一人で乗り込む不安、そして期待というのは自分の視野が広がることへの期待

 

日本にいれば自然と日本サイドに寄りがちだ

しかし逆に中国側の主張もしっかり受け止めたら自分はこの南京大虐殺についてどのような意見を持つのか、単純に好奇心があった

 

そして昆明から2,000㎞以上もの長距離移動で南京に到着

事前に調べていた通りに地下鉄に乗り、違うゲストハウスに案内されてしまうというトラブルはあったもののなんとか予約していた宿に到着

高層マンションの一室を改装して宿泊施設として経営しているようだ

 

既に夜の11時を回っており、そこにいたのはわたしとほとんど歳が変わらないであろう女の子

アルバイトでもしているのかと思いそのままチェックインを済ませたが詳しく聞くと、なんとその子が宿のオーナーであった

19歳で大学で経営学を学ぶ傍ら、講義は全て映像で大学に登校するのは年に数回でいいため実際に宿を経営しているのだとか

その日は時間も遅かったのでそのまま就寝したが、会ってすぐの会話でオーナーにレズビアンについてどう思うか尋ねられたのが気になった

 

次の日、長旅の疲れもあったので一日のんびり過ごそうかと考えていると、オーナーが半分に切ったリンゴを片手にもう片割れのリンゴは口に運びつつ現れた

 

今日は一日部屋にいることを伝えると彼女は喜んだ

「私は宿を離れられないから、話し相手もいなくて暇だったのよ」

 

 にへへと笑う、本当に声に出してにへへと笑うのだ

綺麗な目をしているし、顔も整っているのだが、すこしぽっちゃりとしていて、ぼさぼさのおかっぱ頭、ラフな黒のロングTシャツを着ているせいか、かわいいというよりは愛らしい

 

こんな子が一人で宿を経営しているのか

 

18歳の世界一周むすめと19歳のオーナーはそれなりに意気投合

オーナーがお昼ごはんを作ってくれたけど

「まともに料理をするのは初めて」と言われたのは既に調理し始めた後でスクランブルエッグを水で煮るという豪快な調理方法を披露された

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(手前二つが彼女の手料理)

 

「はじめてにしては上出来ね!!」とおいしそうに食べるオーナー

この子といると自然と笑みがこぼれる

 

ちなみに食材の買い出しに行ったとき手を繋がれたのはここだけの話

やはりそういうことなんだろうか

 

その日の夜、ゲストハウスに一人の男子学生が来た

北京よりも北にある大学に通っているという彼は日本のアニメがすごく好きらしい

 

キーボードが七色に光る持参のパソコンで彼のお気に入りだというアニメを見せてくれた

その中にわたしも好きなアニメがあったのですっかり意気投合した

 

意気投合といってもわたしは中国語話せないし、彼も日本語はおろか英語も出来ないので会話にはならない

彼が表示する画像に対して知っているものであればわたしのテンションが上がる

 

オーナーとは少し英語を使ったりもするけど、どうしても分からなかったときは携帯の翻訳アプリを通して意思疎通をする

 

すっごく面倒だし体力使うけど、海外ならではのコミュニケーションでわたしは嫌いじゃない

きっと海外のわたしは日本のわたしより1.5倍増しで感情豊かだと思う

 

ゲストハウスから徒歩15分ほどの場所に観光名所である夫子廟があり、夜景がきれいだというので彼と二人ででかけた

 

オーナーは宿を離れられないためお留守番

 

わたしはWi-Fi下でないと翻訳アプリ使えないし、まともな会話もできないので適当に歌うたったり、路上で気になるものを指さし驚く顔をしたりなんかして二人で歩いた

 

言葉が無くても楽しい

 

むしろ言葉が無いからこそ、 

より相手の感情を理解しようと努めることができるんじゃないだろうか

 

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まともな写真が無かったけど孔子廟きれい

 

 

そして南京3日目となる翌朝、この日わたしは夫子廟によった後あと南京虐殺記念館に一人で行くつもりだった

 

そして彼も同じく夫子廟に行く予定というのでまたふたりで孔子廟に行くことにした

 

この時点でわたしは南京虐殺記念館へ行くということを彼にも、オーナーにも言ってなかった

仲良くなってもなお自分が日本人であり、彼らが中国人であることを意識せずにはいられなかった

 

南京虐殺と口にし(厳密には翻訳し)自分の立ち位置を尋ねられるのが怖かった

 

昼間の夫子廟を訪れ、ついでに近くの園庭に寄ると彼は翻訳アプリを通して聞いてきた

「このあとどこにいくの?」

 

携帯が使えないのでわたしは地図を指さした

どうやら理解したようで、彼は何か特別に反応するでもなく納得したように頷く

「僕も一緒に行った方がいこうか?」

 

ほんとは一人で行ってゆっくり見たかったけど、「はい」か「いいえ」しか伝えられない状況で理由も説明せず断るのは失礼な気がして、

 

せめて「来たいなら来ればいい」くらいは伝えられたら良かったんだけどそれすらできなくて、

 

苦笑いで黙ってしまった

 

彼はそれを「本当は一緒に行きたいけど遠慮している」と理解したようで一緒に行くよと言ってくれた

 

やっぱり、言葉は必要だ

 

地下鉄から出ると天候は雨であるにもかかわらずたくさんの人が入口に並んでいた

ほとんどが中国人で、少しだけ欧米人らしきバックパッカーがいた

 

入場するとすぐ、逃げ惑う人々の銅像とその下に詩のようなものが刻印されていた

 

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その後も壁画や漢詩など随分と感情に訴えてくる展示が並んでいた

 

 

また、犠牲者300,000人という文字が様々な国の言葉で印されていた

 

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一つ一つの展示物の前で立ち止まり、「ほら見ろ、これが日本がしたことだ」と言いたげに顎でそれを指す彼はまるで子供を諭す大人のようだった

 

彼は決してわたしを責めない

 

彼だけではない、昆明でであったお兄さんたちも、オーナーも、

 

みんな割り切っているのだ

 

もし仮に、わたしが日本人であることをこの場所で大声で告白したとしても、危害を与えてくる人はいないだろう

 

日中戦争で戦っていた相手はわたしではない

 

それでもわたしはここにいてはいけない気がした

 

自分で責められているように思いこんだ

 

二人で一本しかない傘をさすとなりの彼は今、何を考えているのだろう

 

 

修学旅行だろうか、建物の入り口で高校生らしき学生の団体が何かセレモニーを行っていた

学生だけでなくそこにいた全ての来場者が立ち止まり、一人の女学生が群衆に向かって何かを話すのをじっと聞いていた

 

わたしには女学生が何を話しているのか理解できない

戦争に反対し、平和を願うスピーチかもしれないし、過去の日本の行いを強く非難する内容だったかもしれない

もしくはその両方か全く見当違いのことかも

 

彼女のスピーチが終わると歌が流れた

国歌だろうか、周りの人はみな、まっすぐに前を向いて歌を口ずさんでいた

 

正直、気味が悪かった

 

どんな内容のスピーチかわからないことがより一層わたしに疎外感を与え、彼らとは異なる人種なのだと実感させた

 

一刻も早くここを立ち去りたくて、助けを求めるように彼を見つめた

でも彼はわたしの存在などなかったかのように、まっすぐに前を見すえ歌を口ずさんでいた

 

宿で仲良くなった、わたしの知っている彼ではなかった

 

はじめて彼のことを怖いと感じた

 

 

歌が終わると何かの合図でまわりみんなが一礼したが

わたしだけがそのまま立っていた

 

それが終わるといっせいに人が散っていった

 

わたしたちも建物内に入り、埋まったままの人骨のある部屋、鏡張りにろうそくの灯りだけで中央に詩が記されている部屋などを見て回った

一通り見終わったのか、出口が見えたので外へ出た

 

私が彼を怖いと感じたのはこの一度だけで、あとはいつもの優しい彼に戻っていた

 

 

 

彼の話はいったん置いておいて、南京虐殺記念館を訪れた感想を述べようと思う

 

率直で端的な感想を言えば期待外れであった

前述したようにわたしはここで中国側の主張、つまり日本軍による南京虐殺は本当で、その犠牲者は30万人という主張に完全に納得することを期待していた

 

そのために下調べで南京虐殺を否定する側の主張をまとめていた

 

調べてもらうと分かるが簡単に書くと、1937年、38年の南京の人口増加率からみて大規模な虐殺は考えられないとするものや、当時中国は内戦状態であり、虐殺は日本軍によるものでなく内戦に巻き込まれて市民が殺されたことを指すだとか、虐殺の2か月後には南京で自治市民たちによる政府が設立しており虐殺はありえないなど

 

そもそもの信憑性があまりないし、これを信じて「南京虐殺は中国のでっち上げだ!」なんていうようなわたしではないが、虐殺の存在を多少疑っているぐらいで記念館を訪れ、丸々論破された方が無知で訪れるもより印象強くなり、良いだろうと思っていた

 

中国が内戦中であったことも含めて、日本軍がどのように侵攻してきてどんな理由で市民を虐殺し、その後どのように南京は復興していったのか

 

たくさんの証言、信憑性のある資料とともに、時系列に説明された説得力のある展示物があるものだとおもっていた

 

今思うとあくまで記念館であり博物館ではないのだからわたしが過剰に期待していたのかもしれないが、自分が思っていたような資料はいっさいないように思われ、感情的に訴えるモニュメント、詩ばかりだった

 

これを見た人々は当時の日本人の非人道さを憂い非難するだろうと思った

 

わたしは南京虐殺記念館の内容に納得がいかなかった

 

 

と同時にそんな自分も受け入れることができなかった

 

展示に納得がいかないのは自分が日本人だから、日本の非を認めたくないからではないだろうか

 

本当はこれで十分説得力があり、第三者からすればこの記念館はすばらしいものであるのに、その事実から目を背け、物足りない!!と駄々をこねているんじゃなかろうか

 

実際、この記念館は口コミで海外からの評価も高いし今日も中国人以外の来場者を見た

 

でもそんなに評価が高い理由がわからない

 

これは何か自分に足りていないものがあるんだ

 

自分に足りないものは何なのか、このことが残りの旅でわたしを悩ませ続けた

 

 

そして帰国後、ブログを書くために訪れた場所の情報を調べなおしていると、南京虐殺記念館に展示されているという資料なのに見覚えのないものが出てきた

 

不思議に思って詳しく調べるとあることが判明

 

なんと、わたしは資料館を見逃していた

 

ショックすぎていっそのこと判明してほしくなかった

 

資料館には当時の新聞記事や証言、虐殺のことを時系列にまとめたパネルもある様子

 

資料の内容までは調べられず、それらがわたしを満足させるかどうかはわからないが、少なくとも資料館に行ってないのに満足できるわけがないことは確実

 

少し安心したと同時に、せっかく南京まで行ったのにたくさんの資料を見逃したのが悔しくて悔しくて判明後三日間は思い出すたびに涙を流すわたし

 

わたしはきっと、再び南京に訪れる運命だったに違いない

そう言い聞かせながら現在に至る

 

だが当時のわたしはそんなこと知るはずもなく、もやもやを抱えたまま記念館をあとにする

 

正直、この時は記念館の展示物より、となりにいる彼に気を取られていて、資料館に行ったところで集中できなかったと思う

 

地下鉄乗り場まで歩いていると、館の入り口のところで中国国旗を売る人と、それを手に取る白人のバックパッカーがいた

 

 

 

 

わたしは南京にいる間のほぼすべての時間をオーナーと一緒にでかけた彼と過ごした

 

そしていつからか、彼はわたしに好意を寄せるようになった、らしい

 

好意を寄せるといっても、中国版のメッセージアプリで何度もハートやキスのスタンプを送ってきたり、「オーナーではなく君のために何かしたいから」と言って、ご飯をおごってくれるぐらいで、単純に友達として冗談交じりに好いてくれているんだろうと思っていた

 

そのたびにわたしは笑ってごまかしていた

 

するとオーナーに

 

「彼、本当にあなたのこと好きなんだよ」

 

と言われた

 

そう言われても、わたしにはどうすることもできない

 

彼がわたしを好きということが認識できない

 

だって、出会って3日、4日で好きになる??

 

言葉もまともに通じないのにそんな簡単に好きになるの??

 

 

期間の短さ、言葉の壁もあるけどそんなのは後付けの理由

 

彼の好意を受け入れられないのは間違いなく南京虐殺記念館での彼を見たから

 

いくら過去のことでわたしは直接関係ないとはいえ、知り合って日が浅い日本人とあんなところに行ったら多少の不快感なり思うところもあるだろう

 

そう

 

あんなに怖い顔してた彼が?

 

 

わたしなんてまるでいないように、まっすぐに前を向いて歌を口ずさんでいた彼が?

 

 

わたしのこと好き???

 

 

まさか

 

 

彼に想いを伝えられれば伝えられるほど、わたしは混乱して彼は何も悪いことしてないのに少し避けてしまうようになった

 

こんなとき言葉さえ通じれば、混乱していることを素直に彼に伝えて記念館で彼が何を考えていたのか尋ねるのに

 

 

翻訳アプリもあるけど、直接話すことに比べるとやはり伝えられることに限りがあるから、誤解を招いて彼を傷つけてしまうかもしれない

 

いや、結局避けて傷つけることになっているのだから、やっぱりわたしが弱いだけだろう

 

人と接するのに言葉はいらないけど、それなりの強さと覚悟を持たないと深くわかり合うには難しい

 

深くわかり合うのが難しいのは言葉があってもなくても同じか

 

まあいいや

 

 

 

そんなこんなで南京で混乱の日々を送り、オーナーと彼に別れを告げる

 

 

わたしはただの旅人だから、このあと連絡をとることがなければ彼らに会うことは一生ない

 

 

この後も関係を続けるかはわたし次第だ

 

 

 

彼を傷つけたところで、これ以上関わることはない

 

 

というのがわたしの弱さであり、甘えである

 

 

別にこんなマイナスなことを旅の途中でずっと考えていたわけじゃないけど

中国という環境がわたしにこんなことを考えさせたのだと思う

 

異文化コミュニケーションとか、言葉の壁とか

 

おままごと程度ならそんなに難しくないけど、知識やスキルがないと厳しくなるところもあるんだ

 

仲良くしてねってニコニコしてるだけではだめだなーって思いました

 

めちゃくちゃな文でごめんなさい

 

なんとか中国書き終えました

 

書いてみると内容そこまで濃くないな、

 

そのときの混乱とか葛藤って言葉にするの難しいよね

 

次はアメリカ

 

ヨーロッパもサラーっと書き終えてイスラエル書きたいです

 

ではでは、次の記事でお会いしましょう!

 

今日も読んでくださりありがとうございました!!ほんとに、こんな長いの読んでくれてありがとう!!!!

〜中国ってどんな感じ?驚いたもの編〜

前回の記事では都会で便利な昆明の姿を紹介しましたが、

 

今回は私がちょっと驚いた、中国ならではの光景を紹介しようとおもいます!

 

 

中国入ってトラブル続くし、

一人での外出は言葉の壁もあり、体力的にも精神的にもしんどかったので、

基本昆明ではずっと宿にこもっていたのですが、

 

それを気にかけて宿のお兄さんたちが私を色々な場所へ連れ出してくれたんです

 

 

そこでびっくりした光景!!

 

 

まずは食べ物

 

中華料理といえば世界三大料理のひとつで調味料とか滅茶苦茶に入れてるようにしか見えないのに奇跡的においしいことで有名ですが、中国ではなんでも食材として食べちゃいます

 

 

犬の肉を食べたりするというのは結構有名だと思うんですけど、今回私が目にすることは無かったので良かった、、

 

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市場でペット用として売られてました

 

なぜ耳が縛られているのかは不明(笑)

 

 

ですが市場では他に様々なものが食用として売られてます

 

写真はないですが、豚肉を取り扱う店ではモモやバラ以外に豚足、までは許せますがまで売っていてびっくり!

 

 

あとは湯葉ならぬ牛乳を温めたときに出来る膜に味付けしたもの

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ドジョウなんかも量り売りされてました

 

 

人口が多いから食料不足だったりするのかな

 

ザリガニに関しては高級食材らしく、

お兄さんたちが

 

「今日の晩飯はこれだ!」

 

とか言って桶いっぱいに購入してました

 

そのあと宿に帰って

 

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一匹一匹丁寧に泥を落とし

 

旅行中の中華料理シェフに調理してもらって

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美味しくいただきました、中華料理ってすごい、、

 

 

 

次はこちら

 

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見るからに人工的に着色した金魚とカエル

 

 

わーカラフルで綺麗だなー

 

 

ってなるか、おい(笑)

 

 

他に生きたコイのうろこに着色して松を描いたものもありました

 

 

一方で

 

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こんな風にきれいに手入れされた花壇もありました

 

 

中国の美的センスとはいったい、、、

 

 

あとは中国で列車の切符を購入しようとすると、、、

 

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人がいっぱいで30分以上待たされます

 

シェア自転車より先にこの列をどうにかするべきではないでしょうか( ˙-˙ )

 

 

色々突っ込みどころが多いですが、優しい人にも恵まれ何だかんだで楽しく過ごせた昆明でした

 

 

買い物ついでに観光名所案内してくれたり、宿にこもってたら食べたかった餃子買って来てくれたり、ジェンガで遊んでくれた

 

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親戚のおっちゃんか、ってぐらい構ってくれたのにちゃんと感謝の言葉も言えなかったから今度は中国語話せるようになって恩返しに戻ってきたい!

 

 

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 お気に入りの写真( *¯ ꒳¯*)

 

 

覚えててくれるといいな~

 

次は長時間並んで買った切符を手に南京へ向かいました

 

2,000㎞を軽く超える大移動

 

ま、電車で座ってるだけですけどね

 

 

南京でも色々あったな〜

 

 

上手く伝わるか自信はないけど、読んでもらえたらうれしいです

 

では、次の記事で会いましょう!!

 

 

今日も読んで下さりありがとうございました!!

〜中国ってどんな感じ?便利なもの編〜

 色々とトラブルはあったものの何とか中国で宿も確保できた私

 

宿を経営しているのはお兄さん二人と一人のお姉さん!

 

特にこのお兄さん二人はほんとに優しくて、単純な私は完全に懐きました(笑)

 

そしてこのゲストハウス、名前が白木(White wood house)というだけあって、壁も家具も白基調で統一されていておしゃれ

 

なんと共有スペースの壁には日本映画のポスターが飾ってあり

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ベランダの本棚には東野圭吾の中国語訳されたものが置いてありました

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話を聞くと、中国の映画は面白くないから日本や韓国のものを見る若者が多いんだとか

 

それでお気に入りの映画のポスターを飾っているんですって!

 

東野圭吾もよく読まれているそうで、文化的には中国にとって日本は割と身近なのかもしれません

 

冗談交じりに

 

「中国人って日本人のこと嫌いなんだと思ってた」

 

というと彼らは

 

「若い人はそうでもないよ。安部首相は嫌いだけどね。」

 

と言いました

 

 

私の勝手な印象ですが、中国って割り切っている人が多いような気がします

 

政治的に日本と中国が対立しているのはわかっているけれど、映画電化製品など良いものは良いものとして受け入れる

 

合理的な考えなのかな

 

合理的といえば、日本ではあまり導入が進んでいない便利なシステムがいくつか見られました

 

まずはシェア自転車

 

町の至るところにQRコードのついた自転車が置いてあって(置いてるというよりは乗り捨てられてる)

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これは拾い画です(引用url: https://www.google.co.jp/amp/s/www.businessinsider.jp/amp/post-34986

 

専用アプリでQRコードを読み込めばロック解除の番号が表示されて乗ることができるというものです

 

詳しいことは私もあんまり知らないので気になる人は調べてみてください

 

とりあえず私にわかることは、いつでも自転車に乗れて、どこで降りても構わない!ということ

 

家から駅まで自転車に乗っても駐輪代がかからないし、別の駅から目的地までまた自転車に乗れる!!しかもどこで乗り捨ててもOK

 

同じようにこのシステムが成り立つかどうかは難しいところがありますが、日本でも導入してくれないかなぁ

 

 

 

もう一つ便利だと思ったこと

 

中国では財布を持ち歩く必要がないんです!(全ての地域かどうかはわからない)

 

なんでかっていうと、宿のお兄さんたちと出かける時彼らはいつも携帯しか持ち歩かないんです

 

買い物とかどうしてるんだろうと思ってたら、これまたQRコードが、今度はお店のレジとか壁に貼ってあってそれを携帯で読み込んで合計金額を入力して支払いしたら支払い完了の画面をお店の人に見せればいいだけ

 

驚くべきはそのQRコード大型デパートやコンビニだけじゃなく、個人経営の八百屋さんや屋台などにも設置してあること

 

中国では便利なものの普及が早いみたいです!

 

その普及スピードがあるならもうちょっと別のところで気をまわせよって思うところはあるんですが、今回はこの辺で!

 

今日も読んで下さりありがとうございました!

〜中国入国!男だと言われました〜

フィリピンからタイ、カンボジアベトナムラオスと東南アジアを旅してきましたが、次は中国

 


中国の中でも物価が安く、バックパッカーに人気だという昆明

 


飛行機で行くことも出来たのですが、安いし時間もあるのでバスで向かいます

 


計24時間のバス移動です( ¯ω¯ )

 


途中国境で一旦降りてラオスから出国、中国へ入国します!

 


ラオスから出国、イミグレにて

 


出国審査官にパスポートを見せるとパスポートと私を見て一言

 

 

Beautiful

 

お?笑

 


綺麗と言われて喜ばない女性はいません!

 


上機嫌ラオスイミグレから中国イミグレへ

 


さすが中国、入国審査が厳しく、イミグレへ入る前に銃を持った兵隊さんに荷物を全てチェックされました

 


そして入国審査

 


私の他にも海外バックパッカーの人が何人かいて、外国人というだけで審査の時間が倍以上でした

 


私の番になりパスポートを手渡すと、しきりにパスポートと私の顔を見比べます

 


んで、言われた言葉が 

 

 


この写真、男みたいだな。ほんとにあなたの写真?

 

 

 


はぁ??

 

 

 

いやまぁ、確かに証明写真の時はショートカットだったし、一重写真写り悪いから男に見えても仕方ない、、、?仕方ないの!?女ですけど、、!?

 

 

 

さらに他の審査官も連れてきて2人で私の顔と証明写真を見比べる

 


これ私だから!!」という私の訴えの後、2人で首を傾げながら入国スタンプを押されました

 

 


ショック(;▽;)(;▽;)

 

 

 

さっきラオス出国の時に言われた「Beautiful」は証明写真との差があり過ぎて言われたんだとこの時気づく( ˙-˙ )

 


(ちなみにこの後、ドイツ、イスラエルでも男とは言われませんでしたが、本人かどうか疑われました、、)

 

 

 

 

まぁ、時間はかかりましたが中国に入国は出来ました

 

再びバスに乗り、昆明まで向かいます

 

中国ではいたる所でバスが止められ、兵隊が入ってきて身分証明書提示を求められます

 

夜中でもお構い無し

 

パスポートを見せるとある兵隊がそのまま私のパスポートを持って行ってしまいました

 

 

他にも外国人はいるのに何故か私のだけ

 

 

パスポートが無いと旅を続けられなくなるため、めっちゃ慌てて軽くパニックになる私

 

 

 

数分後無事兵隊さんがパスポートを持って戻ってきました

 


上司に報告しなきゃいけないとかなんとか

 


ちゃんと理由を説明してくれたし、とても優しそうな兵隊さんだったので、勘違いしたくないところ

  

 

中国人が厳しいんじゃなくて、中国政府が厳しいんです

 

 

中国政府だって中国人なんだからそんな変わらんやろうと思う人もいるでしょうが敢えて言いました

 

 

周りの方々は親切な人ばかりで、中国語がわからない私のために車内アナウンスを英語に翻訳してくれたり、困っていると助けてくれます

 

 

声がでかいし、目つき悪いしでちょっと怖く見えがちですが、千原ジュニアだと思えば全然怖くありません(運転手が千原ジュニアに似てた)

 

 

まぁなんやかんやで昆明に着き、予約した宿へ向かいます

 

 

 

歩いて指定の住所までたどり着きましたが、そこにあるのはマンション

 

 

一階部分はお店が入れるようになってるけど、すかすかで出店してる店はなし

 

マンションの一室を借りてゲストハウスにしてるのかと思ったけど、上に上がるエレベーターが動いてない

 

近くにいた警備員さんにゲストハウスの名前を見せてみたけど、知らない様子

 

住所が間違ってるのかとその周辺を1時間近くウロウロし、声をかけてくれたおっちゃんに助けを求めるもそもそも言葉が通じない

 

筆談を試みるも訳わかんない

 

 

 

半泣き状態で別の宿を探すことにしました

 

 

二つ目の宿は割とすんなり見つかり、スタッフも英語が話せる人だったので安心

 

でも中国1日目にしてこの疲労感、先が思いやられます、、

 

 

 

更新遅くなってごめんなさい!

 

ゆっくりでも書いてるので気長に待ってくださると嬉しいです、、

 

今日も読んでくださりありがとうございました!